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2005年5月11日 |
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◆ パワーエリートクラス(政治だけではなくあらゆる組織も想定している)がクリエイティブクラスを抑圧している日本。これはゆゆしきことかもしれない。世界で活躍している人々は、おそらくほとんどがクリエイティブな人々。日本では彼らはクリエイティブクラスを作ることが阻害されている。
◆ だから彼らは自分の力で日本を離脱する。日本を離脱できないクリエイティブな人々は、自らを「おたく」というレッテルを貼って、自らを守るシェルターを創っている。シェルターにはいれない才能はあるが十分に発揮できる環境がない人々の中にはフリーターとかニートとかレッテルを貼られている。また、自分の子どもの才能を潰したくない親は、私立中高一貫校を選択するのだが、東京大学の教育学部の一部の教授(彼らの発言力・影響力は結構大きい)は、この動きをアッパークラスの不公平を生む行為として排除する。 ◆ 排除の論理。これが日本の負の伝統である。この負のあるいは抑圧的な、ジョン・ダワーに言わせれば弾圧的な強いストレスに耐えて、日本の創造的な文化が出来上がっていると思えるほどだ。 ◆ しかしグローバリゼーションは、この排除の論理を破壊する。お金も才能もチャンスもあった人々だけが海外に流出していたのが、今や誰にでもチャンスが与えられる。クリエイティブな人々は、日本にクラスを創ることはしない。なぜならストレスが高すぎるからだ。海外のクリエイティブクラスに仲間入りした方が、自分のやりたいことがさっさとできてしまう。これが1つの大きな流れになろうとしている。 ◆ さて、日本の未来はそれでよいのだろうか。私にはわからない。しかし、このクリエイティブクラスが莫大な経済市場を持ち始めていることは世界の目線では明らかなのだが、そういうときにクリエイティブクラスのない日本はどうなるのか。それは火を見るより明白だ。だからトヨタのようなグローバル企業は着々とネットワークを世界に張っている。実質的にはシャドー国家といえるかもしれないほどだ。 ◆ こうなってくると、私立中高一貫校やその入学にかかわる中学受験塾は、アッパークラスの不公平を生む行為を助長しているだとか受験競争を生み出している元凶だとか言われたり自ら居直って言ってみたりしていることは、また塾などは自らを必要悪とまで言ったりしていることは、知のオリエンタリズムだったということが良く見えてくる。 ◆ 私立中高一貫校のような教育システムの中身そのものは、OECD/PISAで高いスコアを出している国々の教育システムと同質のものである。中学受験塾のような機能も形を変えて、存在していて評価されている。フィンランドの総合制教育システムやアメリカのチャータースクールなどその良い例だろう。イギリスのパブリックスクールやアメリカのプレップスクールのように明らかにアッパークラスのための私立学校に喩えられることがあるが、日本の私立中高一貫校は、教育の中身はむしろ秀でているかもしれないほどである。ただ、社会システムの中の位置付けが全く違うのである。 ◆ 私立中高一貫校や中学受験塾は、日本社会システムのある意味ゆるやかな排除の論理をあてはめられているし、自らその鉄鎖につながっている。公立の学校が進学重点校という政策をとっているが、これは明らかにパワーエリートクラスの持続可能性政策である。私立中高一貫校や中学受験塾もあたかもこの政策の中でそういう公立の学校と競争するような形でマスコミなどは映し出しているが、本当は違うのである。 ◆ 私立中高一貫校はパワーエリートではなくクリエイティブな人材を輩出する場である。中学受験塾はそこにつながる小学生のキャリアデザインを真摯に考える場であり、そこに進める準備を行う学習空間でもある。しかし、今までこういう世界のスタンダードに結びつくような自己表現をしてこなかった。偏差値や大学進学実績を外からあたかも学校評価としてレッテル貼りをされるままになってきた。そのジレンマを解決するのではなく、自ら飲み込んで受け入れてきた。 ◆ しかし、実際には政治家、学者、医者、経済アナリスト、芸術家、NGOに従事する人々、IT関連の起業家などなどクリエイティブな人材を輩出してきたのは最近では周知の事実である。ただ、彼らは自分たちをクリエイティブクラスとして意識してこなかった。もちろん、クラスである限り、光と影の部分の両側面を有するわけだから、次のステージを思い描くビジョンも準備しておく必要はあるが、まずはクリエイティブクラスを日本にも構築する知の空間として自らも表現することが肝要であり、そのことによって排除の論理から寛容の論理に社会がシフトするように連帯することが望ましい。 ◆ そういう意味で塾としての日能研が、「学力新発見テスト」(http://www.nichinoken.co.jp/050612gsh/index.html)で、「日本の子どもたちに、世界へのモノサシを---。」というビジョンを打ち出したことは評価できることだ。知のオリエンタリズムの鉄鎖を断ち切る動きの第一歩であるからだ。次のステージは、この動きがゆるやかな連帯に成長していくことが肝ではある。それがクリエイティブクラスを形づくっていく第一歩なのではないだろうか。 |
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