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| SAT(大学進学適性試験)改革本格実施の意義 |
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2005年4月14日 |
| ◆ 朝日新聞(2005年4月14日)に、「米国版大学入試センター試験『SAT』(大学進学適性試験)」の記事が載っていた。米国版というのはだいぶ意味が違うと思うが、ともかく2005年からSAT改革がいよいよ本格実施したということである。
◆ SATはTとUがあるが、選択肢問題ばかりだったTの方に、読解、数学、作文という記述型を加えたというもの。なぜそうしたかは、例によって学習格差を抑えることだとなっているが、それだけではあるまい。日本では「学力低下論」という自ら階層構造を大きく2つに分断しようという動きがあるが、アメリカは、できるだけアメリカ市民を階層の上の方に固めようという動きをしている。 ◆ 信憑性はともかく何人かの有力経済論者たちからアメリカ帝国主義論が叫ばれているから、ちょっと考えれば、そうだということがわかる。日本の90%の国民をアメリカ市民のサブ階層にしようというのが「学力低下論」のねらいである。そんなことはないと「学力低下論者」は言うかもしれないが、もし無意識のうちにそういうことを主張しているというのならば、およそ社会学的でも政治学的でもない。サイードの言うオリエンタリズムという構造が当てはまるといえばそれまでであるが。 ◆ これはEUも同じなのである。この動きが正しいのかそうでないのか、実に難しい。しかし、このような世界の事態を見抜く目や考える力が必要なことは確かである。見抜いた上で、改革するのか、保守するのかは本人の選択の問題である。 ◆ そういう意味では、「学力低下論」が潮流のような書き方をしている日本のマスメディアは、欧米や日本の私立中高一貫教育とはトーンが違う。しかし方向性が違うわけではない。二極化のサブ階層の部分で起きている事実を記述しているだけである。高次の階層では、教育は思考力・表現力、プロデュース力、戦略的実践力、シンボル操作技術を身に付ける方向である。それはOECD/PISAの分析からも見えてくるし、私立中高の基礎学力調査研究会の動きもそうだし、トヨタやHondaの中等教育に対する働きかけもそうだ。もちろん、この動きは高次の階層を一部に限ろうとしているのではない。欧米や日本の市民・国民を世界の位置付けの中でできるだけ高次階層に引き上げようとしているのだろう。 ◆ その本意はもちろんよくわからない。そしてこのような動きの正当性はいかにと問われると浅薄なこともいえない。ただ、日本のマスコミレベルではそのことを表現したくてもできない何かが起きているのではないかと予想したくなるのは私だけだろうか。SATの改革実施の本意。これが問題だ。 |
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