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共立女子の中高一貫教育の構造(2)〜共立暗黙知のイメージ

2005年4月5日
by 本間勇人(honma@netty.ne.jp)

◆ 前回、共立女子の中高一貫教育のイメージを勝手に構造図として表現した【図1】を紹介し、「中学時代の暗黙知の育成が金太郎飴のように基礎になっている」。そしてこの暗黙知の構造は明快で、はっきりしていると述べた。(参照→http://eri.netty.ne.jp/honmanote/sclstudy/2005/0324.htm

◆ 共立女子の暗黙知を構成する基礎教科は、美術、国語、数学、英語。美術は、世界認識論であり、国語は、読解リテラシーと論文、そして言語文化の基礎論。数学は、コミュニケーションベースで、データや数式の言語化、言語の数式化という関数的メタファー論。英語は、ケンブリッジシステムを部分的に導入し、自己や社会、文化、世界を相対化するメタ言語論。このような一連の授業の関係総体が共立女子の≪暗黙知≫を構成するのであるが、さて関係総体という結合を作るシステムは一体いかなるものだろう。

◆ 一般にはこれら基礎教科の結びつきなどは積極的には語られない。横断的カリキュラムという言葉はあるが、欧米とは違い、日本ではだいたい継ぎはぎ的な発想。しかし、共立女子は、継ぎはぎにならないように随分長い間探究し続けている。誤解をおそれずに言えば、それはコミュニケーション。ただこれも今では誰もが強調する。しかしやはり、コミュニケーションとは何かについてはあまり突っ込んだ議論はない。せいぜいハートフルな人間関係を結合するものだとか、マスコミュニケーションの類として取り扱われたり、挙句の果てにはパソコンやインターネット、携帯電話、e-mailなどのツールの使い方だと勘違いされたりしている。

◆ 従来教育とは日常生活と知識の関連を見出せなかった。そこを反省して生活を知識でどのように吸い上げるかが見直されてきた。「ゆとり教育」の大きな方針の1つだろう。たしかにこれはきわめて重要であるが、日常的で無反省な表面的言葉が教育の中に浸透してしまったのも事実である。ここが「ゆとり教育」の上手くいかなかったところだ。言い放たれただけで熟考するコーディネーターがいなかったわけである。本来このコーディネート役を引き受けなければならなかった文部科学省に属していた教育学者たちの多くは評論家にすぎなかった。

◆ それはさておき、教育はやはり生活そのものではない。もちろん学問そのものでもない。生活と学問の掛け橋だろう。すると日常的に安易に使われている「コミュニケーション」などのような言葉はいったん括弧に入れて、脱構築する必要がある。

◆ 教育学者とは対照的に、この作業を、共立女子はずっとやってきている。この脱構築というReflection(考察)があるからこそ、コミュニケーションが基礎教科を関係総体として結びつけることができ、それが暗黙知として広がる。そしてこのような暗黙知が共立女子の教育の質を高めるのだ。

◆ 美術のコミュニケーションは、思春期に揺れる自己との対話。想定自画像として自己をデザインし、再びそれをDE-SIGN(脱記号)化する。1つのデザインとして固定化するのではなく、中学3年間ずっと脱記号化する制作活動をする。人間、空間、時間の「間」に自己を定立させること。これははかなくもすぐに崩れるが、そこにしっかり立つための試行錯誤によって自己を見出す作業が行われる。

◆ 共立女子の数学のコミュニケーション能力は、(1)算数・数学の表現・記述が使える、(2)考えの伝達や討議などの交流ができる、(3)数学的表現のよさが理解できる、(4)話し合いや議論の大切さへの適切な態度を形成といった4つの視点が提案されている。数学的表現とは自然言語(言葉)と関数記号の相互変換である。ここでも事実と思考の「間」が着目されている。

◆ 国語のコミュニケーションの中で注目すべきは、「ともだち」という論集。生徒1人ひとりの読解リテラシーと論文の相乗効果の成果であると同時に、「ともだち」=「共立」という協働作業を通してのアイデンティティの確認活動でもある。ここでも「間」。

◆ 英語のコミュニケーションは、ケンブリッジ方式の研究が進んでいて、チーム学習や議論、討論という手法、言語論としての文法の成果が取り入れられているが、さらに国語とコラボレートして、枕草子を英訳したりしている。この体験は言語文化の差異を実感でき、英語が日本語に対するメタ言語(鏡あるいはモニターとしての機能)としての役割を果たしている。ここでも「間」の理解が必要とされる。

◆ あるものとあるものの「間」。つまりは世界の関係をどうみて、どのようにとらえ、どのようにデザインするかが共立女子のコミュニケーションベースな授業なのである。この基礎教科による関係総体としての暗黙知は、ものごとの直観的ではあるが最適化を試行錯誤する判断能力である。この判断能力をベースに、高校からは理論的な教科が積み重ねられる。判断と論理の関係総体がいよいよ生まれ、学際的な知が形成される。このように、共立女子の中高一貫教育は編集されているのではないだろうか。

参考文献
(1) 久保良宏 1998 「中学校の指導における数学的コミュニケーション活動に関する実践的研究」 日本数学教育学会誌 第80巻 第9号
(2) 中城芳裕 2002 「中学2年次における想定自画像の実践」 私学の挑戦―The授業
株式会社 銀の鈴社
(3) 松ヶ枝孝之 2004 「ケンブリッジ大学英語研修報告」 共立女子研究報告 29
(4) 松ヶ枝孝之 2004 「中学2年次における想定自画像の実践」 私学の挑戦―The授業 Vol.2 株式会社 銀の鈴社
(5) ともだち26 2005 共立女子


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