![]() |
|
| LA(Learning Adviser)の「木鶏」としての存在 |
|
2007年5月28日 |
| ★Honda「発見・体験学習」は、チーム学習のスタイルをとっている。チームにはLA(Learning Adviser)が伴走するのだが、このLAの存在をめぐっていつも多くの方々と論議になる。誤解もされることもある。
★プログラムをデザインするには、当事者やステイクホルダーは、コンセプトとプログラムのワークフロー、想定される停滞を突破するTQ(Trigger Question)のバリエイションなど十分に打ち合わせるコミュニケーションが重要であるが、忘れてはならないのは、かかわる人材のタレント。LAもタレントリソースの1つであり、LA自身がトリガーである。LAに関して、事前に共有しておくことは、実は最重要な課題である。 ★LAは自らをどのように自己設定するのか極めて重要なのである。生徒たちにとって、LAはリーダーでもないし、ファシリテータでもない、コーチでもない。まして教師ではまったくありえない。学習環境設定の助言者である。Hondaの二輪や四輪、ヒューマノイドロボットASIMOなどのプロダクト、生産のノウハウ、発想を生み出すワイガヤ、イノベーションの開発取り組みなど、すべては学習環境であり、その学習環境がトリガーになって生徒たちは様々な発想を生み出す。 ★しかし、体験から感じる感じないは、個人差がある。だから「体験」と「感じる」の間に、体験リソースというトリガー以外に、生徒たちの探究・議論・発表というコミュニケーション学習環境を設定する。 ★LAは体験リソース環境以外に、このメタ学習環境を設定する。その設定された学習環境から何が見出されるのかについては助言をしない。ここは一般にはファシリテータ、コーチ、教師と生徒たちの領域である。しかし、Honda「発見・体験学習」では、そこを「ファシリテータ、コーチ、教師」と「生徒」という学習環境ではなく、「生徒」と「生徒」という学習環境を設定している。@この生徒同士のコミュニケーション環境、つまりチーム学習、A体験リソース環境、Bメタ学習環境の3要素を設定するのがLAなのである。 ★しかしながら、これが難しい。Aの体験リソース環境の設定は大抵できるが、@の生徒同士のチーム学習の設定も簡単にできるかというとそうはいかない。素質を持っている人材とそうでない人材にわかれてしまう。LA自身がこの設定段階で自分がリーダー(お山の大将)にならないと気がすまない人材がいる。その場合は、LAのロールプレイを遂行しにくいので、その段階でお断りしている。最も難しいのはBのメタ学習環境の設定。LAはチーム学習のリーダーにならなくても、議論編集の段階でファシリテータになってしまっているときがある。思い切ってコーチになっているときもある。しかし、リーダー的な役割を演じていないので、それが外から見ていて見えにくいし、LA自身が自ら気づくことはなおさら難しい。 ★すべての人材は、「自分」を持っている。情報がインプットされると、優秀であればあるほど、アウトプットしたくなる欲求がある。Honda「発見・体験学習」をやっていると、このBの段階で若い人材と葛藤がおこる。7年間やってきて、何人の学生がこのBの段階で、自分には合わないと去って行ったことだろう。逆に多くの学生が今現在もチャレンジし続けてくれていることだろう。 ★仕事だから自分のライフスタイルを少し変えてもらえないものかというのも、これまたこちらの欲求である。学校の行事やカリキュラムと企業が連携する難しさは、ここにある。企業の場合は、自分のライフスタイルと仕事のスタイルは合うか合わないかが重要ではなく、割り切れるか否かが重要だが、教育の領域は、割り切れないのが現実だ。割り切ってやってもらうこと自体ができにくいのである。 ★多くの学校の先生方とこの活動をコラボレートさせていただいている。その中に白梅学園清修の教頭柴田先生もいらっしゃるが、先生のブログにこんな文章がある。 <いろんな事象に反応し、一喜一憂するようではいけませんね。しなやかさを失ってしまいます。中国 の古典「荘子(そうじ)」に「木鶏」という寓話がありますが、昭和の碩学、安岡正篤氏と名横綱双葉 山とのやり取りの話(双葉山が69連勝で連勝記録が阻まれたとき、その心のうちを安岡氏に伝えた電文)として、ご存知の方も多いと思います。『木鶏』 カラ元気でもない、興奮しない、嵩に懸からない、応戦しない。某お父さんから魂のこもった上品なご連絡をいただきましたが、私流に勝手に要約すると・・・。 ※白梅学園清修Topics「しなやかさを保つために」 →http://seishu.shiraume.ac.jp/cgi-bin/topics/topics_detail.cgi?data=201 ★若き人材が挑戦しているのは、この「木鶏」だったのかアとふと思った。日常生活まで「木鶏」であり続けるのは困難だが、2泊3日のプログラムの中で、「木鶏」のロールプレイにチャレンジしている若者の姿は、たしかに驚きである。そしてときどき「木鶏」そのものになりきれている人材に出会う。私自身イマダモッケイタリエズだが、そのような一期一会に素直な気持ちが自然と湧いてくる。道を知るというコトに、若いも老いも関係ない。 |
| 学びを考える 目次へ |