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| ≪学習支援学≫:学習支援者としてのLA〜§1 LAとしての役割 |
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2006年3月9日 |
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【はじめに】
◆ NTS教育研究所は毎年20校(私立も公立も含む)ほどの学校のプログラム編集・運営の支援のチャンスを頂いている。学校とHondaと協働して実施しているHonda「発見・体験学習」や幾つかの私学とエイジェントと連携して行っている海外留学プログラムなどがそうだ。7年以上継続しているため、このようなプログラムを編集運営する際のメソッドとして独自の≪学習支援学≫が蓄積されつつある。 ◆ この≪学習支援学≫に基づいて編集するプログラムの中で大きな特徴を占めているのは、学習支援者としてのLA(Learning Adviser)とLA的な視点を必ず設置することである。つまりLAという役割行動ができる人材を配置したり、プログラムシステム自体にLA的視点を設置したりしている。 ◆ しかし、このLAとしての役割と視点は、コラボレートした学校などからたいへん好評であるにもかかわらず、研究所スタッフが説明してもなかなかすっきりと理解されにくい存在でもある。定量的に証明することが難しい定性的な性格が強い役割や視点だからである。私が説明したとしても、理解が得られるというものでもないが、≪学習支援学≫構築にかかわっているスタンド・ポイントからLAの役割や視点などについて考察してみたい。考察の途上で変わる可能性が大いにあるが、次のような目次立てで記述していくことにする。 §1 LAとしての役割
【§1 LAとしての役割】 ◆ LAはLearning Adviserの略で、学習支援者を意味するが、どんな「学習」を、どのように「支援」するのかが、役割を考えるうえでポイントとなる。LAがかかわる生徒たちの学習は、教師が知識を伝達し、それを生徒たちが覚えるというスタイルの学びではない。 ◆ 生徒自らが、世界や社会、地域、学校、家庭、友人などなどの人間関係や人間と自然などの間にある問題に気づき、それを解決できる課題として絞込み、その課題解決を考案・議論・プレゼン・実施していくという学びの過程を体験する学習スタイルにかかわる。 ◆ また、その過程を体験するだけではなく、学びの過程を認識し、その過程そのものを自ら編集し直せるメタ的視点を獲得するタイプの学習にかかわる。従来型を「知識伝達型学習」と呼び、LAがかかわる学習スタイルを「知識創造型学習」と呼ぶことにする。 ◆ ここで「知識創造型」としたのには、1つ理由がある。自ら課題を発見し、その課題を解決していくと呼ばれる学習は多くあるが、必ずそこで問われるのは、知識を軽視しているのではないか、それだと大学などにパスする力は養われないのではないのかという疑義である。 ◆ それに対しLAがかかわるタイプの学びは、単純な体験学習ではなく、従来の知識をベースにしつつ、新しい発想を付け加え、結果的に新しい知識が加わっていくというタイプの学びなのである。社会や芸術、科学の進歩やパラダイムの転換というのは、伝統を排して全く新しいものを生み出してきたというようなことはない。常に不易流行である。 ◆ そういう意味ではW.ジェームズやJ.デューイの流れにあるプラグマティズム的な発想を汲むものであって、たんなる体験主義や実用主義ではない。また現実からかけ離れた抽象的な改革主義でもないし、改善主義でもない。少しの知識の新たな発見がパラダイムという殻を破ることに挑戦するモチベーションを生む学びである。 ◆ さて、このような「知識創造型学習」をどのように支援していくのか。それは「創造的コミュニケーション」の環境を設定することによってである。生徒たちの学びの基本スタイルがチームだったり、留学生のホームステイや寮の環境をチーム学習の空間として意識するように促したりするのも、「創造的コミュニケーション」の環境設定の1つである。 ◆ このようなコミュニケーションを形成支援する最大のポイントは、LAが関与的に観察(Participant observation)するというスタイルをとることである。これは人類学や社会学、現象学の基本的な調査手法や考え方の1つであるが、LAは第三者的な「客観的」な視点で生徒たちの学びの状態を観察するのでもなく、かといって当事者として「共感的」に生徒たちの学びの状態を観察するのでもない。 ◆ 生徒たちの活動の中に入り込みながら、生徒たちが関わる人やもの、事象がそれぞれどのようなズレや葛藤、矛盾など(これら「差異」と呼んでおく)を生み出しながら学んでいるのか(そのことに生徒は気づいていない場合が多い)を観察し、記録しながら、一方でその「差異」に生徒たちが気づく学びの環境を創出していく。これがLAの役割である。 ◆ 「差異」に気づけば、生徒たち自身には、何らかの動きが生まれる。その動きは生徒それぞれによって違うが、それは生徒たちが議論することによって、どの動きが最も重大な問題に結びついているのかがはっきりとしてくる。たとえば、CO2を削減することが自然にとって果たしてよいことなのだろうか。世界中でこの削減活動はよいことだということになっているが、本当だろうか。コストがかかり、結局は間接的に化石燃料を使うことになるという反論も本当にそうなのだろうか。そもそも温暖化は本当に防ぐべきなのだろうか。地球の氷河期のサイクルからいけば温暖化は大きな問題ではないのではないか。温暖化防止は科学技術の問題なのだろうか。経済の二極化現象や国際政治問題、人間としての倫理問題をどのように捉えなおしていく必要があるのか・・・。「差異」がはてしない議論の物語を編集していく。 ◆ しかし、この果てしない議論のような創造的コミュニケーションが生まれるまでが大変だ。社会や自然、人間の問題を、入試問題を解くように模範解答を求めて閉塞したり、新しい問題に格闘するモチベーションが生まれてこなかったりする。これは「差異」に気づかない状態であるに過ぎないが、この「差異に気づく」という道のりが長い。 ◆ かりに「差異」を伝達したとしても解決はしない。生徒たちが自分たちで気づかない限り、それは「知識伝達型学習」に過ぎない。そこでLAは「差異に気づく」トリガーを発見するために「参与的観察」を行うのである。 ◆ LAとしての役割は、「知識創造型学習」を、「参与的観察」を通して「支援」するのだが、その「参与的観察」の「視点」はいかなるものなのか。そして「支援」する仕掛けとはいかなることなのだろうか。 (つづく) |
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