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| 新しい学び時空(4)〜ヨーロッパの旅から |
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2005年12月15日 |
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◆ ミラノからベルリンへ移動。ベルリンでも、いくつかの大きなテーマがあった。まずはベルリンの壁を見たい。そしてユダヤ博物館。ベルリンが大きく変わったその原点を見たかったし、ベルリンの変貌とはどのレベルのものなのか見極めたかった。たんに「モノ」として変化したのか、虚時空へと変化したのか。東京シティとの違いが鮮明に出てくるかどうか。 ◆ 結論から言えば、ベルリンは虚時空を創りだしていた。「モノ」としてはもしかしたら日本の方が優れているかもしれない。しかし、虚時空の広がり方が全体的だ。日本はその逆で局所的で深い。おそらく平和を作り出す必要がないからだ。日本における平和は政治力学的に保障されてきたからだ。ベルリンは自ら創りださなければ、だれも助けてくれない。日本のようにアメリカが直接手を出せないのがEUの実態だろうからだ。 ◆ アメリカが恐れる国。それは本当はドイツだ。ドイツが「モノ」的発想で邁進したら、たいへんなことになる。そうアメリカは冷戦当時感じただろう。しかし今は虚時空がベルリンを覆う。 ◆ あの抑圧と権力と戦争の象徴ベルリンの壁は、89年に崩壊して以降、自由と平和と虚時空の象徴となっている。ここにもパラダイムのシフトが存在している。今でも1キロほど壁は残されているが、そこは「イーストサイドギャラリー」としてコンテンポラリー・アートが数多く描かれている。マンガも描かれているが、もはやそれはアートである。壁が崩れた結果、かつての権力が消滅したわけだが、再びそれが蘇生しないように封印する役目を果たしてはいるのかもしれない。 ◆ ともかく、ここにでも膨大な量のコンテンポラリー・アートはフラクタルを意味する。ゲートはすでに開かれた。壁は崩壊したのだから。壁の崩壊をめぐる多様な動きはベルリン中いたるところにある。これが虚時空をベルリン全体に生み出している。 ◆ ベルリン全体に広まる動きとは?その1つの出来事が、ユダヤ博物館である。ダニエル・リーベスキント(彼自身ユダヤ人である)設計によって、92年に建築着手、99年に完成した。「モノ」化した社会の悲惨な出来事を記憶し、未来の虚時空へゲートを開いて、本当の平和を祈るヴォイドの空間を到るところに仕掛けている。空間そのものの仕掛けと展示を見て深い気持ちを生み出す訪問者との協働が虚時空を生み出している。虚時空の生みの親アインシュタインについてもディスプレイがある。ユダヤ人とドイツ人の共生の象徴としてゲーテという虚時空のディスプレイも。もちろん私の中のもう1つのテーマであるアンネ・フランクについてもディスプレイがあった。 ◆ とにかくこのユダヤ博物館は外側も内側も、その空間が完全にゆがんでいるのである。ゆがみがヴォイドという空間を作り出す。ここでも、ベルリンの壁が崩れる前年88年に亡くなったイサム・ノグチのエナジー・ヴォイドにつながった。イサムの虚時空は、日本では、特に東京ではまだまだ局所的であるが、ベルリンでは同質の感覚が全体に広がっている。ベルリンと東京は、同じグローバル・シティでも質感が全く違うのである。イサム・ノグチのユネスコの庭園が意味するコトがベルリンの壁が崩れるコトの意味と共鳴している。東京でイサムの意味が局所的なのは、日本が本当の平和を見つけていないからかもしれない・・・。 ◆ さて、89年のベルリンの壁崩壊以降、ユダヤ博物館に象徴されるように、連邦議会から始まって、あらゆる街並みが新しくなっている。新建築ラッシュといってもよいだろう。重要なことは日本のように「モノ化」された建築物ではないのである。ユダヤ博物館のように虚時空を生む建築物ばかりが誕生しているように思えてならない。 ◆ その理由は、デッサウではなくベルリンにあるバウハウスのミュージアムにあった。バウハウスは、20世紀初頭ドイツで生まれた建築やデザインの新しい流れであり、中心的な存在はヴァルター・グロピウス。ミース・ファン・デル・ローエやパウル・クレー、カンデンスキー、ブルーノ・タウト、モホリ・ナギなど数多くの建築家や芸術家を教師として迎えたあるいは生み出した美術芸術学校である。 ◆ 第二次世界大戦に向かう途中、ナチに排除されたが、今もなお脈々とその流れは続いている。その資料やディスプレイのミュージアムが、地下鉄の駅ノーレンドルフから歩いて10分ぐらいのところにある。実はこの場所は、ベルリンの壁が崩れて、ドイツが統一されることによって、ベルリンの中心空間にシフトした。89年前にヴァルター・グロピウスの設計によってすでに建てられていたのだが、そのころから計算していたのだろうか。 ◆ ナチに徹底的に排除されたユダヤ人とバウハウスの精神には2つの共通点がある。それは徹底した伝統と革新的なまでに新しい科学技術の両方を大事にしている点と創造性と技術的知識の両方を重んじる点の2つだ。 ◆ そしてこれが現状のベルリンの精神のベースなのだ。その証拠にベルリンは経済の中心であると同時に博物館がひしめく伝統の集積空間である。この両方の統合を象徴しているのが、89年以降の新建築の膨大な数である。伝統と近代の割合が表面的には近代が圧倒しているのがパリやストラスブール、ミラノと全く違う。もちろん伝統を完全に捨て去っている東京ともどこか違う。実はこれは教育観の違いにも結びつくが、これはもっとリサーチが必要だ。 ◆ 一見ベルリンの近代化は伝統的でないようにみえるが、基調はバウハウスのコンセプトだと思う(都市デザインの専門家は否定するかもしれないが、メタファーとして語っているぐらいに捉えて欲しい)。ベルリン中バウハウスなのだ。ナチに排除されたバウハウスの復権とも言うべき動きに、ベルリンは虚時空を形成する。たとえば、経済の中心地、ポツダム広場。ソニーセンターを中心にまわりのビルを眺めてみよう。するとそこには1921年に、ミース・ファン・デル・ローエがコンペ用に制作したドラフトの実現かと錯覚するような鋭角でガラス張りのビルが現れる。 ◆ 政治の中心地、連邦議会のあたりもそうだ。もっとも連邦議会そのものはフランク・ロイド・ライト的な螺旋構造になっているが、もしかしたらこちらはグロピウスの影響かもしれない。ガラス張りの鋭角のビル。ここにもフラクタルが存在する。螺旋構造には当然ある。ベルリンの街並みを外側から見てもそうだが、内側からみたらどうなるだろう。残念ながら時間がなかった。しかし、およそ予想はつく。バウハウスの家庭用品は、椅子からなべのふたまでバウハウスなのだ。おそらくインサイドもアウトサイド同様バウハウスで埋め尽くされているだろう。 ◆ バウハウスの成立は1920年前後だろうが、その着想は1907年から始まるようだ。宗教と芸術とバウハウス。すべて金融テクノロジーが発達していないとダイナミズムは生まれない。ユダヤ人に対する大虐殺やってしまったドイツ。平和は経済と文化や芸術で担保しなければならない。それがベルリンの今の姿だ。そこには紛れもなくP=MC2の方程式が機能している。 |
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