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● 近代の歴史と車
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第6章 世界の自動車産業

by葛原 怜

■ 今や、多くの国々にとって欠かせない産業となった自動車産業は、ヨーロッパやアメリカだけでなく日本を始めとするアジアにまで広まっていった。しかし、各国によってそのスタイルは異なり様々な車種や生産体系がある。

■ 車大国アメリカは第二次世界大戦後の1950年代に大型化・デラックス化が進み、高度の寡占体制化でのフォード、GM、クライスラーのBig3の高収益構造ができた。60年代には乗用車の需要は800〜900万台に増加し、VW(ボルクス・ワーゲン)を中心とする欧州小型車の輸入が増加した。さらに同時期に、セカンド・カー(輸入の小型車が中心)の保有も広がったが、このような自動車社会の成熟化は、公害・安全問題を巻き起こし、これに対して法律制定や取締り強化などが見られた。

■ 60年代後半からは、日本車(殆ど小型車)の本格的輸入が開始され、79年以降には輸入車の国内需要に占めるシェアは20%を上回るようになった。80年にはGM、フォード、クライスラー、AMCの大手4社が赤字を計上したが、84年よりは回復の兆しが見られた。

■ 西ドイツは、第二次世界大戦に立ち直り、1950年代半ばには、イギリスを抜いてアメリカに次いで世界第二位の自動車生産国となった。この国ではVWのBeetle単一車種量産が成功したのである。しかし、79年の第二次オイル・ショック以降は、量産車のコスト競争力の低下のため、盛況の峠を越し、日本に追い越されてしまった。なおこの頃から、ベンツ、BMWなどの高付加価値・少量生産の分野では、ある程度の成功が見られたのである。

■ フランスは、第二次大戦後に政府が積極的に自動車産業の育成策を取り、Renaultの国有化やSimcaやCitroenに資金援助をするなどのことが行われた。こうして漸く成長率が高まり始めたが、1979年の第二次オイル・ショック後は、国際競争力の低下による輸出の減少、輸入車の増加などで、業界は成長力を弱体化していった。

■ イギリスは、第二次大戦後、政府の輸出振興政策もあり、50年には生産の70%を輸出した。60年代前半にはFord、Vauxhallが業績を伸ばしていたが、70年代を通してイギリス車は国際競争力を失い、生産が減少し始め、国内市場の半分以上を輸入車に譲るに至ったのである。

■ そうした中、発展途上国はここ20年間に急速な発展をとげている。特に12億もの人口をほこる中国と台湾は、いま世界の脅威となっている。2000年の中国の自動車生産台数は初めて200万台を超え、生産台数では世界第8位の位置を占めており、自動車生産大国と言っても過言ではない。しかしながら実態は、最大メーカーである上海フォルクスワーゲン(VW)の年産22万台から年産数台程度というメーカーまで渾然一体となっているのが現状である。

■ 中国自動車産業の特徴は100社を超える自動車メーカーと2000社以上の部品メーカーが乱立している状況にあり、WTO加盟を2001年にした今、自動車メーカーと部品メーカーの整理、再編こそが中国自動車産業の最大の課題と言える。

■ 中国自動車産業の歴史は、1956年旧ソ連の援助を受けて設立された第一汽車製造廠の国産トラック「解放」でその産声をあげた。その後北京、瀋陽、上海、済南などの自動車工場が設立され、文化大革命期の1969年には第二汽車廠(現在の東風汽車)が設立された。その後も地方政府の地域自前主義が自動車組立工場、部品工場建設に拍車をかけた。また、軍需関係等の国有機関が独自に自動車産業に参入してきたことも乱立の大きな原因でもあるだろう。

■ 自動車メーカーが過度に分散していることから個々の企業の生産規模 が小さくなり、本来「規模の経済」の代表である自動車産業が、そのメリットを得ていない不自然かつ非効率な構造が形作られ、今日まで続いている。勿論、中国政府も過去、自動車産業の整頓を行い、集団化政策を進めてきたが、地方主義の壁に阻まれたことや、政府主導の整理、統合に自動車メーカーが反発したことから、大きな成果を得ることが出来なかった。

■ WTO加盟が中国自動車産業に大きなインパクトを与えることは間違いない。加えて、現在世界の自動車業界再編の影響を大きく受けることも避けられない。既にほとんどの外国メーカーが中国内の複数企業と提携関係を持っている。各社とも限られた資源を有効活用するために、今後ますますグループとしての総合力を発揮することになり、中国の自動車メーカーの再編にも大きな影響を及ぼすものと見られる。

■ 中国政府も国境を超えた産業が世界の潮流となっていることは認識しており、勝ち組の外資と協力して自動車産業の強化を図ることを明確にしている。中国の自動車産業も家電、二輪車と同様に、近い将来国際競争力をつけて輸出が増加していくのか。また、日本の自動車メーカーの脅威と成りうるのか。乗用車は現段階では、海外メーカーとの開発技術、品質、価格については圧倒的な差が開いており、中国国産ブランドの乗用車が市場を開拓することは容易なことではない。

■ さらに乗用車の安全技術、環境、省エネルギーの技術は日々進んでおり、中国の自動車、部品メーカーと海外メーカーとの技術格差が拡大していることは事実であり、中国政府も彼我の差を認識している。しかしトラックを見てみると、「解放」、「東風」の国産ブランドは、価格競争力もついており、既に東南アジア諸国、アフリカ諸国に輸出を行なっている。自動車部品は、外資系の部品メーカーを中心に欧米、日本他への輸出を行っており競争力も高まっている。

■ 中国政府も比較優位性も発揮して、先ず部品産業の国際競争力を高め、世界の自動車部品メーカーにおいてメインプレーヤーになることを重点目標に挙げている。WTO加盟後、外資との提携、自動車産業の構造転換が成功すれば、自動車部品は勿論のこと、将来的には商用車さらには乗用車においても輸出競争力が高まって来ると思われる。

(http://www.jcipo.org/shiryou/che.htmlから)

■ 台湾の自動車産業は53年の裕隆の設立に始まった。このメーカーは最初は合衆国のWillysとの技術提携によって57年に4WD車(Jeep)の組み立てを始め、59年になって日産と技術提携をし、まずトラック次いで乗用車の生産を開始した。続いて三富、三陽、中華、六和と相次いで創設された。さらに、羽田機械、大慶の2つのメーカーが89年になって参加した。

■ 第二次大戦後は、殆ど日本からの輸入に依存しており、40年における自動車保有は5000台にも満たなかった。台湾の自動車産業は裕隆の創設によって始められたが、71年に自動車販売は1万台を突破し、74〜76年には5万台前後の販売であった。これが77年から大幅な伸びを示し80年には13万台に達した。88年には国産車の前年比16.8%増の26万9000台、輸入車は前年比2.5倍の12万3000台となり、全需要は前年比40%増の39万2000台となった。乗用車需要は、この台湾では主に個人事業主など比較的高額所得者によって支えられ、国産車・輸入車とも、上級の製品に集中している。

■ こうして80年代前半には、低い労働コストと比較的に整備された部品産業の存在を背景に、先進国メーカーの完成車輸出拠点として発展してきた。しかし、トヨタを招致して自動車産業を輸出産業に育成しようとした政府の『国富汽車計画』が、輸出義務付け問題・技術移転問題で白紙還元となってからは、85年4月には政府はそれまでの自動車政策を転換し、完成車輸入解禁・関税引き下げ・外資規制緩和を打出し、『自由化と競争原理』により国際競争力を強化しようとする政策を打出した。

■ 台湾の自動車部品産業は、完成車産業に比べれば発達しているほうだが、その殆どは従業員100人以下の中小企業で、台湾国産メーカーへの一次サプライヤーは、88年の9月現在で約90社あり、日本やヨーロッパ部品メーカーから技術供与や出資を受けている。部品メーカーは複数の台湾国産メーカーと取引関係を持ち、系列化されていない。また台湾製の部品は、合衆国やカナダに輸出基盤を有することも特徴である。国産化率規制緩和と元高により、台湾製部品は比較的に国際競争力を持っている世界の市場で、日本や欧米製の部品と並んで進出の努力をしている。

(参考:『日本自動車産業の発展分析と展望』 著 松浦茂治)

■ 以上のように中国や台湾を始めとするアジアの国々の自動車産業は、日本や欧米諸国に比べれば技術や生産システムなど未熟ながらも、急速な発展を遂げていることは事実である。世界の自動車生産と環境問題は非常に密接な関係にあることは言うまでもないであろう。自動車大国日本が、アジアの国々の自動車生産と環境について今より考えなくてはならないだろう。
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