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第2章 日本再生へ |
by飯田 耕平 | |||||||||||||||||||
§0 はじめに■ 前章では株式や投資信託といったリスクマネーを扱うようになることが、個人のファイナンシャル・リテラシーを向上させる上で非常に有用であるということを取り上げた。一方、個人が積極的に株式や投資信託を購入するようになると、企業やマーケットの側も個人投資家の存在を強く意識せざるを得なくなってくる。事実、昨年も多くの企業がコーポレートガバナンスの充実や積極的な配当政策を行っており、株主重視の経営が日本企業の新たな潮流となりつつある。このような変化を踏まえ、本章では個人投資家が存在感を増していく時代における企業経営のあり方や日本経済の行方について考えていこうと思う。 §1 「株の持ち合い」から「モノ言う株主」へ■ まずバブル崩壊までの一般的な日本企業の資本関係を考えてみたい。この頃の主な特徴としては、やはり企業間の株式の相互持ち合いとその仲介者である銀行の圧倒的な存在感が挙げられるだろう。この企業間の株式の持ち合いは1960年頃から始まった。当時の日本企業は過小資本であったため、外資による買収から身を守るために相互で株式を持ち合ったのである。当然ながら第三者割当増資などによって他の企業に優先的に株式を割り当てる行為は、株式の流動性比率の低下や一株当たり利益の希薄化に繋がり、多くの場合一般株主の利益を損ねる行為となる。しかし当時は右肩上がりの高度成長時代の真只中で、企業の株価も軒並み上昇していった。それ故に一般株主による大きな糾弾にまで発展することはなかったのである。 ■ このようにして株式持合い構造は徐々に確立されていったわけだが、こうした経済体制を法人資本主義という。法人資本主義では株主総会は形骸化し、経営者に権力が集中しやすくなる。そしてコーポレートガバナンスは機能しなくなり、株主に対する政策も疎かになる。バブル時に多くの経営者が無謀な多角化や海外投資を続けた背景にはこうした法人資本主義がある。それでも高度成長期には安定株主の存在が長期的な視野に立った経営を可能にし、日本経済回復の原動力となったことも一方で事実である。 ■ そんな中、同時期の米国では年金基金に代表されるようなファンドが大型株主として活躍していた。ドラッカーが年金社会主義と言ったように、米国企業への年金基金の影響力は大きく、資本市場で過半のシェアを持つまでに至った。特に米国最大の公的年金であるカリフォルニア州公務員退職年金基金(カルパース)はモノ言う株主として有名で、現在でも様々な企業の経営陣に積極的にアクションを起こしている。米国企業の中で株主重視の合理的な経営スタイルが主流となっているのはこうした背景があるからだ。 ■ その反面、短期的な利益追求がもたらす倒産や事業の育成環境の不備などは、米国流のファンド資本主義の闇の部分としてしばしば批判された。それでも多くの米国企業は株主経営を貫き、最先端のファイナンスやM&A、リストラといったあらゆる手法を駆使して競争力を高めていった。その結果、過酷な企業間競争による淘汰を経験しながらも、米国経済は回復し見事な復活を果たしたのである。こうしたファンド資本主義の流れは、その後の多少の変化を伴いながらも現在に至るまで続いている。 ■ 翻って現在の日本はどうか。バブル崩壊後の経済停滞期を見る限り、もはや従来の株式の相互持合い制度が通用しなくなっていることは明白である。そもそも金融のグローバル化や規制緩和、新たな会計制度の導入により、経営者にとって持ち合いによるメリットよりデメリットの方が大きくなってしまった側面は多々ある。一般個人投資家も株価の上昇が前提でなくなれば、いつまでも経営陣に甘い投資家というわけにはいかなくなる。経営の不透明さの温床とされるような株の持ち合いは確実に解消傾向に向かっていくだろう。 ■ また外国人投資家の比率が高まってきたことに加え(下グラフ参照)、国内からも村上ファンドに代表されるようなモノ言う株主が誕生してきている。発言を通じて株主が本来の機能を取り戻しつつあり、経営者の意識は否が応にも変わらざるを得なくなっている。加えてライブドアとニッポン放送の間で繰り広げられた企業買収問題は、多くの経営者にM&Aや株価、経営資源などに対する認識を改めさせる大きなきっかけとなった。
■ このような流れの中で、おそらく日本は今後ファンド資本主義に突入していくと思われる。馴れ合い体質の銀行やグループ企業に代わり、利益追求という確固たる目的意識を盛ったファンドが、経営に対して厳しくチェックしていく時代である。また下表のように法人資本主義とファンド資本主義では企業に入る資金の性格も決定的に異なってくる。それはわかりやすく言えば直接金融と間接金融の違いともいえるが、投資家の心理からしても、運用対象のわからない預金としてマーケットに流れるより、自ら選択したファンドに資金を供給した方が社会貢献しやすくなるというものだろう。
■ ただしファンド資本主義も万能ではない。米国の歴史を振り返っても、ファンド偏重の社会がもたらした弊害は少なくない。従ってここで何より重要なことは、ファンド資本主義への移行に伴って予想される弊害をできる限り克服し、日本経済の発展に効果的に貢献するよう修正・改善していくことと考える。
§2 経営者の倫理、投資家の倫理■ ファンド資本主義における企業経営のあり方とはまさに株主重視の経営である。ファンドマネージャーは何より利益を求める存在であるため、この場合の株主重視の経営とは株価の持続的上昇であったり、配当性向の引き上げといった株主への利益還元策を充実させることとなる。 ■また経営者には常に利益追求に対する最大限の努力が求められる。そのため有効活用の余地のある経営資源を眠らせておくことはファンドマネージャーからすれば不満となるかもしれないし、不採算の事業を存続させることに疑問を抱くかもしれない。そうした企業に対しファンドマネージャーはガバナンス権を行使して経営者の交代を要求してくる可能性もある。経営者の責任に対するプレッシャーは相対的に重くなり、次々と難しい決断を迫られることとなるだろう。 ■ただ気をつけなければならないのは、こうした社会は利益偏重型に陥りやすい点だ。一歩間違えれば粉飾決算や違法営業などが横行してしまいかねない。米国のエンロン事件やワールドコム事件がその象徴だが、日本でもライブドア問題が実際に起こってしまった。やはりファンド資本主義の中では絶対的にコンプライアンスやCSRの徹底が求められ、コーポレートガバナンスなど経営の透明性を高める努力が必要不可欠となるだろう。また投資先を選定するファンドマネージャーも、高い職業倫理を持って企業を見ていくことが大前提となる。 ■そうなってくればファンドの組み方にも変化が現れてくるはずだ。例えば環境経営やボランティア活動などCSRに特化した企業に絞って投資するファンドが組まれることもあるだろう。その場合、資金を市場から調達するために企業はCSRに力を入れざるを得なくなるというわけだ。極論すれば投資家に広く認められるような特徴(女性や高齢者の雇用に積極的、石油代替の新エネルギーを開発しているetc)を持った企業であれば、利益率や業界順位に関係なく、有利に資金調達ができるようになる可能性も十分ある。少なくとも単純な儲け主義ではなく、社会貢献という観点から投資対象としての企業が選ばれる時代へ近づいていくことは期待できるだろう。さらにこうした動きが世界中に広がっていけば、地球規模の乱開発や企業倫理の欠如といった諸問題に一石を投じることができるかもしれない。 ■ところで、人口減少に苦しむ日本経済が今後発展していく上で欠かせない要素の一つはベンチャービジネスである。しかし残念なことに現在のベンチャー企業を取り巻く環境は非常に悪いと言わざるを得ない。その最大の理由は民間の投資マネーがベンチャーへ全く流れていないからである。従来から存在する政府や銀行系のベンチャーキャピタルでは不十分で、ある程度リスクを許容した投資的意味合いを持ったベンチャーファイナンスの体制を整備することが急務と考える。 ■そこでファンドが投資家とベンチャー企業を結ぶ役割を果たすことができないだろうか。優秀なファンドマネージャーが見込みのあるベンチャー企業を早い段階から選定し、ファンドを組み支援していくのである。さらに一歩踏み込んで、資金的なバックアップ以外にも、様々なベンチャー志望者を集めて交流させる場や共同研究所を用意したり、エンジェルのように実際にベンチャー起業経験者のノウハウを伝授したりできれば理想的である。勿論こうした役割をファンドに任せるのは少々無理があることは否めないが、ようやく増加してきた個人投資家の資金をベンチャーファイナンスの方向に流さない手はない。また個人投資家にとっても明日の日本経済を支える新しいアイデアや力に投資したいというニーズは少なくないはずだ。
§3 おわりに■ 現在、小泉首相が提唱している経済政策はわかりやすく言えば、これまで続いてきたみんなに優しい日本型資本主義から、競争や格差を伴う米国型資本主義の方向へ移行していくことである。勿論、それに伴う敗者復活制度や独立・起業などがしやすい環境づくりや社会保障も並行して行われる方針だという。それでもこうした政治・経済の流れの変化は、やがて社会を抜本的に変えてしまう可能性を秘めている。今まさしくその岐路に立たされているのである。 ■ 確かに人口減少や高齢化の進む日本においては、未成熟な金融資本市場を育成し、資本力をフル回転させることで成長力としなければならない面がある。これまで銀行や郵貯に流れていた資金がマーケットに向かえば、それだけで大きなインパクトとなることも間違いない。実は投資信託の残高や株式市場への参加者が急激に拡大していることは、こうした変化の確かなサインなのである。 ■ そしてこの新たな流れは少しずつ勢いを増していき、株主、企業経営、市場、雇用関係、産業、経済、社会‥これらを次々と変えていくのである。この流れを根本的に止めることは難しいと思われる。しかしながらこの流れを絶えず監視し軌道修正していくことは可能であり、またそれは最も重要なことである。自由化により世界中に金融資本市場を開放することが、単なる外資による買収や仕掛け売りに荒らされるだけで終わってしまうのか、もしくは膨大な金融資本を効果的に利用して新たな産業やサービスを生み出す活力としていくのか。他にも将来的に資本市場が発達してくれば、これまで日本があまりやってこなかった通貨政策などを行う可能性も考えられる。もしかしたら近い将来のアジア共同体構想や世界政府の発足の際にも日本が大きなプレゼンスを発揮できるかもしれない。要するにリスクと共に大きなチャンスがそこにはあるのである。そう考えたら、これからの社会展開ほど魅力的でエキサイティングなものはないと感じるのは筆者だけではないはずだ。
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