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第3章 財政改革 |
by飯田 耕平 | ||||||||||||||||
§0 はじめに■ 前章では日本の財政事情が危機的状況にあることを示した。しかし当然のことながら財政危機に頭を悩ませているのは日本だけではない。米国では90年代前半まで深刻な財政赤字を抱えていたし、EU諸国も総じて財政収支の赤字基調が続いていた。それでも財政再建に向けた持続的努力によって、OECD諸国の多くが収支を改善させることに成功している。 ■ そこで3章では日本以外の先進国(米国、英国)の財政改革をケーススタディとして検証していこうと思う。いずれも80〜90年代にかけて経済・財政改革に取り組み、大きな成果を上げた国である。米英の例から財政改革成功の条件を探り、日本の財政再建の方向性を考えていきたい。
§1 米国の財政改革■ 1990年代、日本経済が後に「失われた10年」と呼ばれる長い低迷を続けていた頃、米国経済は新たなパックス・アメリカーナの時代として大いに繁栄を謳歌していた。長期にわたる景気拡大に安定基調の物価、失業率も後半は4%台にまで回復するなど、米国経済は極めて優れたパフォーマンスを誇った。中でも特に注目したいのが財政収支の黒字化である。1992年には3000億ドル近い財政赤字を出すなど大きく膨れ上がっていた財政収支であったが、1998年に黒字転換させ、2000年には過去最高の1500億ドルを超えるまでに回復させたのである。下グラフからも、対名目GDP比率が1998年からプラスに転じていることが確認できる。 (内閣府経済社会総合研究所より参考) ■ しかしながらこのような90年代の経済的隆盛も紆余曲折を経てようやくもたらされたものであった。第二次世界大戦後から圧倒的な存在感を放っていた米国経済は1960年代後半から少しずつ傾き始める。さらに70年代に入るとニクソンショック、ベトナム戦争での敗北に2度のオイルショックと、相次ぐ混乱により米国経済は世界での絶対的優位性を徐々に失ってしまう。 ■ そんな状況を打破しようと「強いアメリカ」を掲げて経済再建に尽力したのがレーガンである。レーガン政権下の政策(レーガノミックス)は、それまでのケインズ理論を重視した「大きな政府」の考え方から決別し、「小さな政府」を目指したものであった。このレーガノミックスによりインフレは抑制され、再び高い経済成長を取り戻した米国であったが、一方で財政赤字と経常赤字という「双子の赤字」を抱えてしまうことになる。特に財政赤字の拡大は、経常収支の赤字拡大にも貢献してしまっていたことから、財政赤字解消がその後の米国の最重要課題となったのである。 ■ まずこの課題克服の役割を担ったのは、89年に誕生したブッシュ政権であった。当初はレーガン政権同様、歳出カットと減税を織り交ぜた「増税なき財政再建」路線を進めるブッシュ政権であったが、景気減速が深刻化する中で、ついに増税に踏み切る事になる。また大幅増税と同時にCAP制(裁量的支出の各項目に上限を設定するもの)の導入などによる歳出削減を行ったのだが、結果的にはこの一連の施策が次のクリントン政権での財政赤字の縮小に大きく寄与することになったといわれている。しかしながらブッシュ政権を振り返れば経済的な功績はほとんどなく、財政収支は92年度に2904億ドルという過去最悪の大幅赤字を出してしまうなど、懸案の財政事情はますます悪化してしまったのであった。 ■ そしてブッシュ政権からバトンタッチを受けたのは93年発足のクリントン政権である。クリントンは「経済再建計画」を発表し、(1)景気回復のための短期的刺激策、(2)生産性回復のための長期的投資策、(3)財政赤字削減策を3本柱に据えた。これは従来の民主党策に見られた「ばらまき政策」とは一線を画すもので、増税や社会福祉改革によって国民にも痛みを求める政策であった。 ■ こうしてまとめられた93年包括財政調整法(OBRA93)では特に財政赤字の削減に力が注がれた。今後5年間で約5000億ドル赤字削減を行い、そのために同規模の歳出カットと増税を行うとした。冷戦終結による国防費の削減(平和の配当)や公的医療保障の削減、増税はガソリン税や高額所得者の個人所得税率引き上げなどを実施した。このようにして難関であった赤字削減という課題を、政権発足の勢いのまま思い切って進めたことが財政黒字達成に多大な影響を与えたとして、高く評価されている。 ■ 経済の回復も大きく貢献した。クリントン政権が進めていた「小さな政府」路線による規制緩和、自助努力の精神喚起による労働インセンティブの向上が、設備投資を進めていた情報通信産業の開花などに結びつき、低インフレ下での力強い景気の拡大に繋がった。このように多大な財政赤字の削減努力と好調さを取り戻した経済によって、1998年度、米国財政事情はフローベースで29年ぶりとなる財政黒字を達成することができたのである。
§2 英国の財政改革■ 昨今の英国経済は極めて良好で安定的であるといえるが、これは一朝一夕にしてもたらされたものではない。現在のようにインフレ抑制的で労働市場が柔軟性に富んでいる状態は、70年代以降に始まった英国の絶え間ない改革努力によってもたらされたのである。特に70年代末に登場したサッチャー政権の構造改革によるところは大きく、戦後の英国経済史の中でも最もインパクトのあった出来事といえるだろう。 ■ 70年代までの英国経済は完全雇用の実現を求め、大きな政府による総需要管理政策、基幹産業の国有化などが行われていた。しかし60年代後半から徐々に経済の停滞は加速し(英国病)、70年代に入ると本格的に政策転換を検討せざるを得なくなっていった。そして70年代前半はブレトンウッズ体制の崩壊とオイルショックの影響でスタグフレーションに陥り、70年代後半には悲惨指数(インフレ率+失業率)20%を超えるなど英国経済はまさに危機的状況にあったのだ。 ■ そんな中、79年についにサッチャー保守党政権が誕生する。サッチャー政権は本質的な問題解決を先送りして、場当たり的な金融・財政政策に頼っていたこれまでの政策を改め、中長期的な観点から経済のサプライサイド改善を目指した。経済悪化の主因はインフレにあるとし、対策としてマネーサプライの管理を採用したのである。特にマネーサプライを抑制する手段として財政赤字の縮小を打ち出したことは、国民に財政赤字削減の必要性を広く認識させることにつながり、目標達成に大きく貢献したといえるだろう。 英国経済政策の基本理念の変遷
■ サッチャーがしばしば構造改革の例に引き合いに出されるのは、「鉄の女」とも言われる芯の強さにある。サッチャー政権は戦後最大の不況と呼ばれた80年、81年の当時でも、国民に対して緊急路線の重要性を訴え続け、財政の引き締め路線を堅持した。抵抗勢力に屈することなく改革路線を貫き通したところが、問題を先送りし続けてきたこれまでの政権との最大の違いであったのだ。 ■ 一方、英国経済の大不況も、北海油田の収益増や海外経済の回復、ポンド安の流れにより一段落を見せる。引き締め政策の効果が表れ始め、一時は20%を超えていたインフレ率は82年には10%を切るまでに低下した。サッチャーはこうした景気回復の兆候を見逃さず、次第に個別の構造改革を行っていった。 ■ まず着手したのは労働市場改革だ。労使関係に秩序を持たせ、賃金交渉を正常化させる労働組合対策を実施した。組合活動や労働争議を制限し、ストに対しては違法、合法の基準を明確化した。それから労働時間やパートタイム労働の規制を緩和させ、失業給付の削減や受給条件の厳格化も行った。その後もコスト削減と競争力強化のための政策を次々と打ち出していった。 ■ 続いて国家部門の縮小も実施した。国営企業の民営化が主な実施策であったが、水道、電気、ガスなど公益事業が対象とされ、92年の選挙までには旧国営企業の3分の2が民営化された。民営化の狙いは様々であるが、企業の収益性の向上、スト対策、補助金削減による財政支出対策が大きな目標であった。 ■ 税制改革も行った。所得税率の引き下げや税率区分の簡素化、法人税率の引き下げが進められた。また年金制度の見直しも進み、所得比例年金の給付水準が引き下げられるなど、政府支出が削減された。政府の資本支出のカットは公営住宅の払い下げでも達成され、公費の節減は大きな進展を見せた。 ■ 4番目の改革は金融・資本市場の自由化である。ビックバンと呼ばれる一連の施策により、大規模な規制緩和が進められた。改革は国際金融センターであるシティの権威を高めることにつながり、その後の英国金融市場の発達に大きく寄与した。 ■ こうした一連の構造改革を進めていく中で、マクロ経済政策は漸進的に引き締めを緩和していった。マネーサプライ管理政策も次第に廃止の方向に向かっていき、財政収支はついに黒字化を達成した。そして財政収支が黒字化してからは、均衡財政を目指した財政緩和路線へと転換していった。
§3 改革に必要なもの■ 米英の財政改革のケーススタディを見てみると、いくつかの共通点が挙げられるように思う。経済政策の基本理念の転換はその最たるものだろう。時代の要請がある程度関係しているとはいえ、それまでのケインズ主義による政府介入型の政策スタイルから、市場経済重視の政策スタイルへの転換はまさにドラスティックな変化だったはずだ。このような変革を行うことは国民の理解と改革者の強い意志が不可欠である。英国の改革先延ばしの例はこうした構造改革の困難さを垣間見せている。サッチャー首相の明確な貫徹意志が、成功の要因となっていることは間違いないだろう。 ■ 国民の理解を得ることの重要性も忘れてはならない。改革の先駆けとなった米国のレーガン政権の発足当時は、冷戦の激化、経済の競争力低下、日本や欧州の台頭などによって、米国の権威はことごとく低下していた。そしてこのままでは米国の国際的優位性を失ってしまいかねないという危機感の下、米国国民は一致団結しレーガン政権に大きな期待を寄せたのである。英国でも歴史的大不況の中、サッチャー首相は緊急路線の必要性を何度も国民へ訴え続けた。 ■ つまり改革を成功させるためには、国民が当事者意識を持って改革の必要性を認識すること、改革の理念と方向性を明確に示すこと、痛みを伴う改革について国民の理解を得ること、などが必要不可欠なのである。 ■ 議論を単純化してみよう。そもそも財政改革とは要するに歳出削減と歳入増加を行って収支を改善させることである。歳出削減を行うためには効率化を推し進めて無駄遣いをなくせばよい。歳入増加の方法は結局のところ「増税」、「景気の拡大」、「税の補足率アップ」の3つの選択肢に絞られるわけで、それは§1,2で見てきた米英の例からも確認できる。ここで施策のタイミングや、シナジー効果を生み出すような複雑な戦略を敢えて考えないとするならば、いよいよ国民の理解と改革者の強いリーダーシップが重要となってくることになる。 ■ 翻って日本の場合はどうであろうか。下グラフにあるように日本の債務残高はG7の中でも最も悪い。先日イタリアはEUから財政赤字の縮小を求める是正勧告を受けたが、そのイタリアよりも財務状態は不健全である。もっと言えば日本の財政はEUの加盟基準をはるかに下回っており、G7以外の欧州の国々よりも深刻な状況にあるのだ。それでは果たして日本人はこの現状に危機感を感じているのだろうか。感じているとすればそれは小泉政権の構造改革にどこまでコミットしたものなのであろうか。 対GDP比債務残高の国際比較の推移
(財務省HPを参考) ■ 6月21日に政府税制調査会が発表した所得税改革は、サラリーマン増税の性格が強い内容であった。給与所得控除や配偶者控除、退職金課税の見直しが示唆されており、国民の大半を占めるサラリーマンにとっては大型増税となりかねないものであった。こうした改革案には当然ながら批判の声が上がっているわけだが、どうもそれには政府の情報発信が行き届いていないことが批判を巻き起こす一つの原因となっているように思えてならない。確かに財政収支改善のために政府はプライマリーバランスの黒字化を目標に掲げてはいるが、そこに至る歳入増、歳出減のプロセスは必ずしも明確とはいえない。政府が改革の手順をはっきりと示し国民の支持・理解を得る努力を怠れば、構造改革が成功しないことは明らかである。
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