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第6章 2050年の医療 |
by葛原 怜 | |||||||||||||
§0 はじめに■ 前章で2050年の新技術としてナノテクノロジーについて大まかに語ったが、本章ではその中でナノテクノロジーがいかに意味のある技術であるのかということを医療という観点から見てみたいと思う。現在、西洋医学の発達は著しく、不治の病とされた病気が次々と治療法が見つかるようになってきている。しかし、それと同時にまだ人間の力ではどうすることもできないような病気が存在することも事実である。 ■ その一つの理由として、人体は非常に繊細なもので、人間の五感をフルに使っても操作しきれないナノな世界があることが挙げられる。しかし、ナノテクノロジーが電子デバイスなどにおいて発達し、前章で論じたようにカーボンナノチューブなどの発見もあった今、その医療の限界点にナノテクノロジーが応用され始めようとしている。そのひとつの注目するべきものとして「フラーレン」に焦点を置いてみようと思う。
§1 フラーレンとは■ フラーレン(Fullerene)はグラファイト(黒鉛)・ダイヤモンドに次ぐ第三の炭素の総称である。フラーレンを構成する原子は黒鉛中の炭素と同じ種類だが、60個以上の炭素原子が強く結合して球状あるいは、チューブ状に閉じたネットワーク構造を形成している。フラーレンの代表選手であるC60はサッカーボールと同じ形をした球形分子で、直径は約0.7ナノメートル(1ナノは10億分の1メートル)。 ■ C60は1970年に大澤映二博士(豊橋技術科学大学教授)により予言され、1985年にクロトー博士(サセックス大学教授)・スモーリー博士(ライス大学教授)・カール博士(ライス大学教授)の3名により発見。1990年にホフマン博士(アリゾナ大学教授)・クレッチュマー博士(マックスプランク研究所)の共同開発チームが単離することに成功し、1991年に米国のATTベル研究所がフラーレン薄膜に金属カリウムをドープして18Kという高い転移温度を持つ超伝導体を作り出してから、世界中の科学技術者が注目している。 ■ 炭素原子だけからなる一連の球状の分子「フラーレン」のなかで、特にサッカーボール型をしたC60のことを「バッキーボール(buckyball)」と呼ぶ。このバッキーボールと呼ばれるものが、エイズ(HIV)の薬に利用されているというのである。
§2 HIVの特効薬■ フラーレンにはHIVの増殖を抑える働きがあり、抗エイズ薬としての利用が考えられている。まず、その働きを知る前にHIVの増殖サイクルを知っておく必要があるだろう。まずHIVの核は細胞のなかに進入すると、自分のRNAをDNAに複製して細胞のDNAに挿入する。そのあと、細胞の持っているDNAの複製能力を利用して、新しく仲間を増やすために必要な原料となるポリペプチドや酵素を合成する。このときの酵素が「HIVプロテアーゼ(protease)」と呼ばれるタンパク質分解酵素で、このプロテアーゼが先ほどDNAの複製能力を借りて作ったポリペプチドを機能するタンパク質のかたちに切り取る。あとは細胞から出て、これらのタンパク質から新しいウィルスが増殖する。 ■ HIVの増殖をストップさせるには、この増殖サイクルのどこかをたち切ってやればいいというわけだ。バッキーボールの抗エイズ薬としての仕事は、プロテアーゼの機能を抑えることで、ウィルスの一連のサイクルを途中で止めてしまうというものだ。このときに、バッキーボールの物理的・化学的な性質が活きてくる。酵素プロテアーゼも他のタンパク質と同様に、長い糸が絡まったような立体構造をしている。そして、このプロテアーゼの立体構造には、ちょうどバッキーボールが入り込めるぐらいの円筒形のスペースがある。都合のよいことに、このスペースは疎水性でバッキーボールも疎水性である。 ■ つまり、バッキーボールはこのスペースにすんなりと潜り込むことができる。酵素などのタンパク質は、一定の立体構造を保ってはじめて機能するので、内部にバッキーボールが入り込んでしまっては、機能できる立体構造を保つことができない。これこそがバッキーボールの任務というわけだ。またバッキーボールは比較的安定で、毒性はないと考えられているし、動物を対象にした実験ではよい結果が出ている。ただ、このようにプロテアーゼの機能を抑えるという発想は、なにもバッキーボールにはじまったものではない。これまでの抗エイズ薬もこの発想でつくられてきた。 ■ ところが、これまでの抗エイズ薬は、突然変異などによって耐性をもったHIVの登場で無力になりつつある。実際は、いくつかの薬と併用して、何とか効果の持続期間を延ばそうと試みているのが現状だ。そのため、バッキーボールも同じ道をたどるのではという懸念もある。ただ、バッキーボールの球面上にはさまざまな分子をくっつけやすく(化学修飾)、形を変えることで、耐性HIVのつくる酵素を欺きながら、何とかやりあっていけると考える科学者もいる。確かにこれはバッキーボールの強みと言えるだろう。 ■ 現在は、このバッキーボールを使った薬を、カナダのトロントにオフィスがあるCシックスティ(C Sixty)社が近いうちに実用化すると言われている。このバッキーボール薬品がどのような結果になるかはわからないが、HIVウィルスの変異に対して人工的に化学修飾することで立ち向かうという重要な戦略を示してくれることになるだろう。
§3 バイオへの応用■ また現在、それから非常に近い将来、電子デバイスだけでなく、バイオへの応用がナノテクノロジーでは非常に重要であると考えられている。このナノテクノロジーで創薬をするというときの1つの典型的なターゲットは、やはり超微小分子医療マシンである。つまり、薬がある場所をピンポイントにそこだけを治してくれるといったピンポイント・ドラッグ・デリバリーシステム、これが非常に重要なターゲットであることは間違いないと言われている。 ■ 特に最近では困難な手術などにおいて、薬が入ったナノ粒子が血管の中で吸収されないで、体の望む場所にミサイルのように届けられる技術が非常に急激な発展を遂げている。どの標的を狙うかということによって、例えば粒子としてフラーレンを使い、そのフラーレンの表面を疎水性にしたり、親水性にしたりするのである。ちょうど攻める相手を識別する作用を、フラーレンをいろいろ修飾して、まさに、人間の体の中で起きている抗原抗体反応に近い形のものを、人工物で応用するといった研究が進んでいるというわけである。 ■ これは今、臨床から治験へという段階にある。そしてこの分野は、さらにさまざまなナノテクノロジーが我々の生活に間違いなく入り込んでく非常に重要な方向だと言える。また、先述の電子材料、バイオと、さまざまな加工技術を組み合わせたものに、さらに情報が組み合わさったものとして、バイオチップがあります。バイオチップは基本的にはチップを削り、その上にバイオの物質、DNAやたんぱく質を乗せて、いろいろな検査をするものであるが、単純に検査と考えると非常に小さな世界に思えるが、このバイオチップは大きな影響を私たちに与える。 ■ つまり、健康診断を安価で迅速に行えるようなバイオチップが登場してくると、医療や予防が大きく変わるというわけである。なぜかと言えば、このチップには、我々の体で起きていることを我々の体の代わりにやってくれるいわば代替え品が乗っていることになるからである。自分の体のDNAを乗せれば自分のDNAの情報がここにあり、自分の体のたんぱく質をここに乗せれば、自分の体のある部分がここに乗ったことになる。 ■ そうすると、マイクロアレーやマイクロタスを使って我々が健康診断をできるだけでなく、例えば小学生などの給食に対するアレルギー反応を、自分の体の代わりにこういうものを使って検査できるという意味で非常に重要だし、大きなビジネスチャンスが存在すると言えるだろう。
§4 まとめ■ ここで強調すべき点が幾つかある。まず、これらは人体を代替するチップとして、またナノテクノロジーとして重要だが、それだけが重要なのではなく、そこから生まれてくるITと結びついたシステム、そして社会の構造、このようなものが全部一貫してこれから変わっていくということが重要なのである。このように考えると、これからの非常に重要な方向はバイオ、IT、ナノテクといった融合的な科学技術であり、ここに新しい芽があることは疑いないと言えやしないだろうか。 ■ この方向におけるナノテクの果たす役割は極めて大きい。初めて我々がよく言っている、人間1人の遺伝子の解析だけでなく、さらにオーダーメード医療、 個人ゲノム、ゲノム創薬に対応するような大量の情報を処理することができるという時代が来ると考えられる。 こういったナノとバイオの領域においては、現在さまざまな工夫がなされていて、ナノの磁性粒子とバイオの物質を合わせるとか、金の微粒子とDNAを合わせて検査をするとか、さまざまな発展が考えられる。 ■ 2050年というあと45年後の世界で、ナノテクノロジーがどのように使われているのかということは、あまりに想像し難いことかもしれないが再度確認しておきたいことがある。それは、ロボットであれ、バイオであれ、ナノテクであれ今現在注目されているものは全て、これまで論じてきた環境問題やエネルギー問題、などの根本的な糸口として必ずや重要な役割を果たすであろうということである。
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