| ■ ウォルト・ディズニー・プロダクションズは1986年に社名をウォルト・ディズニー・カンパニーと変えた。その理由は「プロダクションズ」だとアニメーション映画や実写映画など映像製作会社というイメージが強く、テーマパークやホテルやメディアやストアチェーンなど多角的な事業を展開しようとする会社にふさわしくないからだということだった。
■ ディズニー・プロダクションズは戦後まもなくはっきりと多角化の道をとった。単にアニメーション映画から、実写映画や記録映画など映画会社として多角化しただけでなく、その映画を配給し、テレビへも進出し、さらにテーマパークを経営し、ぬいぐるみやおもちゃなどのライセンス事業を正規の部門として位置付けたのである。
■ ディズニー社とその他の会社の大きな違いは、その生み出すものが「ハード」であるか、「ソフト」であるのかという大きな問題である。例えば我々は自動車を買うとき、自動車そのものを買っているのであって抽象的イメージや娯楽や知的所有権を買っているのではない。自動車は物理的なものであって、消耗し、いつかはなくなるものである。
■ これに対し、例えば、ディズニーのテーマパークなどでは我々は、入場料を払って利用するがそこでのレジャーや娯楽を買っているのであって、テーマパークそのものやアトラクションを買っているわけではない。確かに設備や施設のメンテナンスは必要になってくるが、これは入場者が消費してしまったものを補充するということではない。入場者が仮に少なくなっても、一定の時間が過ぎれば必要になるものなのである。
■ それらはいったん作られれば、使われることによってなくなるわけでもなく、利用されるごとに利益を生み出していく。利益を生むがゆえに売られつづけ、使われ続けられることになるのである。ディズニー社は一つ作品を作り、それをあらゆるメディアで多角的に利用し、メディアで大衆に浸透させることによってそのイメージやブランドに付加価値を生じさせ、それを利用して物を売る。つまり、ディズニーの文化製品とは、製品であると同時に広告になっていて、その製品を買うことが、他の関連製品のセールス・プロモーションになっているのである。
■ 文化製品は製造業に比べて、「文化」的影響力が桁違いに強い。確かに先ほど出た自動車も文化的な影響力をもっている。自動車を手に入れることによって、その人のライフスタイルや行動様式や余暇時間のすごし方は激変する。しかし、自動車を買ったからといって、好みや考え方がその自動車から影響を受けるということはないであろう。
■ ディズニーが生み出す文化製品は、自動車とは違って意味での戦略輸出品でもある。さらに言うなれば、輸出されるのは製品やものだけではない。ファッション、ライフスタイル、価値観なども一緒に出て行く。最初はどこの国でも年寄りのひんしゅくを買うのだが、やがて若者に浸透し、若者が年を取るにしたがって「文化」として定着していく。問題なのは、そういった新しいものがたいていは、アメリカからのみによる一方通行であるということである。
■ ディズニー社はその膨大な量の映像ソフトとキャラクターグッズを製造し、それを世界中に張り巡らされたメディアのネットワークと販売網を通して送り出すことによって、特に子供たちに「文化」的に大きな影響を与えている。次世代の大人はこの文化的な影響のもとに育ち、一生その影響を引きずりながら生きていくことになる。これこそ、「文化」的影響力が圧倒的なディズニー社の強みであろう。
■ ディズニーランドが日本に来てからもう20年の月日が流れている。もっと言うならばディズニーは戦前から存在しつづけていることを考えれば、もう三世代の人間がディズニーとの関わりをもっていることになるであろう。以前書いた『ディズニーランドの経済学』という文章にも書いたが、なぜディズニーランドはこうも成功しているのかという要因の一つに、「夢と魔法の国」ディズニーランドは現実を忘れさせてくれるというものがあった。
■ その余韻に浸るために、人々はお土産である様々なグッズや商品を買って帰る。そして、ディズニーショップや映画などに足を運び、夢の世界へ憧れを抱く。大人でも童心に帰ることができるから大人から子供までディズニーは愛されているという考え方は消して間違ってはいないだろう。実際、ディズニーの世界に頻繁に足を運ぶ多くの大人は自分でもそう思っているに違いない。
■ しかし、それだけはないはずだ。原因は「子供」にあるのではないだろうか。幼少のころから、カラフルで愛くるしいキャラクターであるディズニーの商品は、子供のおもちゃや衣服、日用品グッズなど生活のいたるところで見られる。まるで子供用品の代名詞のようなものになってやいないだろうか。何事にも多感な幼少期に周囲をディズニーの製品で囲まれているのである。
■ もちろん、これはディズニー社が意図してやったことなのかもしれないが、こうすることで自分な周りにディズニーの製品があることが当然のようになるのである。すると、ある程度年齢を重ねれば、それがテーマパークに行かないと満足しなくなったり、映画を見ないと満足しなくなったりしてくるのである。ディズニーの凄みとして、各世代の人間が世代ごとに楽しめるものを常に供給しているところがあげられるであろう。日用品グッズからテーマパーク、テーマパークから映画、映画から結婚式などのイベントを含んだリゾート、というように最終的に家族全員でかかわれる形態まで用意されているのだ。
■ さて、「文化」という言葉は多くの場合、言語・習俗・道徳・宗教、種々の制度などを指しているのだが、今使っている「文化」は人々に与える影響という意味で共通しているとしよう。ただ、単なる流行というわけではない。日本文化と一言で言っても人によってその捕らえ方は様々であるので、最後にディズニーのどこが文化といえるのかということを、考えようと思う。
■ 日本の文化と言われた時に思いつくのなんだろうか。茶道、書道、相撲、といったものを想像するかもしれない。しかし、現在の日本の文化といわれると非常にその回答に困りはしないだろうか。日々生活していく中で文化など考えたりはしないだろうし、中々見えてくるものではない。もちろんインターネットの普及によって多くの文化が変わってはいる。しかし、文化を考える上で大切なことは「人々が生活の中で何を求めているのか」ということではないだろうか。
■ 以前はそれが、「静」を追求する茶道や書道などといったものであっただろうし、高度経済成長期は娯楽やバカンスに明け暮れることだったかもしれない。現在は、そんな生活から人々は「癒し」を求めているのかもしれない。リゾートが流行っているのもそうであろうし、情報化社会から一瞬で良いから離れたいのであろう。
■ ディズニーは、そんな「文化」にある人々を夢と魔法の国へ連れて行くことに成功した。そういう意味ではディズニーの主張する「夢」というものは今の日本の「文化」となっているだろうし、生活の隅々まで影響が出るのもわかるような気がするだろう。ただ、いつまでも人々が「夢」を追い求めることに固執するのか。ディズニーはこれから何十年先をも見据えて、更なる変化をしていかなければならないだろう。
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