§1 市場経済の責任
■ 市場経済はいま大きな問題に直面している。それは市場経済が自らを倫理的に意義付け、その価値を人々に納得させなければならないという問題だ。冷戦時代には社会主義経済との対比というだけでその価値を十分に主張できたが、冷戦以後社会主義経済が崩壊したため市場経済は新たな問題を抱えることとなったというわけだ。つまり市場経済は自らを絶対的に意義付け、さらに貧富の差などの諸問題への説明を余儀なくされたのである。
■ 貧富の差問題についてのこれまでの一般的な回答は、「たとえ貧富の差は拡大しても社会全体が豊かになっているので、絶対的な貧困そのものは改善されている」というものだ。しかしこの説明では現実的に不十分だと言わざるをえない。なぜなら我々は貧しさを問題にする際、それは絶対的な貧困を指して批判しているのではなく、むしろ相対的な貧困を問題にしているからだ。だから仮に絶対的な貧困が改善されたとしても、そのことだけで市場経済を正当化することは無理があるだろう。
■ また貧しい者が相対的に富める者と比較して不公平感を感じる事は単なる嫉妬ではない。なぜなら市場経済は他者との交渉で成り立つものであり、そこでは金の力が多大な支配力を持っている。その時点で貧しい者は不利であり、不公平なのである。また人と人との相互交渉が重要なこの社会において、他者の存在を認め、その他者と自己を比べ自己を意義付けるということはまったく正しいことである。それを貧しい者のただの嫉妬であると片付けてしまってはそれは無責任な弁明であると言わざるをえない。市場経済はその正当化のために、「なぜ貧富の差があってよいのか」について自ら証明する必要があるのだ。
§2 複線的な市場経済
■ 市場経済に対する我々のイメージは一般的に次のようなものである。つまり合理的経済人が参加するマネーゲームであり、全ての人は効率的観点からのみ行動し、すべてを貨幣価値に還元してその富を最大化しようと競い合っているというものだ。
■ イメージとは恐ろしいもので、我々があることをイメージを持って行うと、その現実を理解するようになり、その結果現実とイメージが重なることはよくあることである。よって市場経済に対して我々が前述したような誤ったイメージを持って参加すれば、その現実も誤った方向に進んでいってしまうのだ。
■ つまりここで重要なのは、市場経済に対して我々が正しい認識・イメージを持って参加するということだ。まず「市場経済=弱肉強食」という単純なイメージを払拭することである。たしかに市場経済にはこの側面は否めないが、これほど単純に、単線的に理解をしていたら市場経済に対する有機的な信頼はまったく生まれないだろう。また人々が弱肉強食のイメージを持ち参加し適応しようとすれば、市場経済のその側面はますます増幅してしまうだろう。
■そこでまず市場経済を単線的なマネーゲームと理解しないで、むしろ複線的なものとして理解することが望ましい。そもそも市場に参加する人間は、みな多様な生活価値を持った他者である。ならばそこには様々な思惑が交錯して然るべきである。その意味で複線形の市場経済とは多種多様な価値観を結びつけ、自由な相互的ネットワークを形成する場であるのだ。
■ ここで問題になるのが市場経済を介して交わる多様な生活が、それぞれに異なる価値基準を持っているということだ。実はこれを貨幣で評価しようとするから、その価値に大小が生まれ、ひいてはそれが貧富の差に繋がってしまう。
■ しかしそれは貨幣に固執した場合である。もし多様な生活価値それぞれに価値を見出す事が出来れば、それは多様な価値観の共生の当然の帰結でありポジティブな意味でとられる。要するに、お互いに生活価値を実現するという観点から貨幣を見て、そしてそれは単なる他者との出会いを可能にするためのツールであることを認識するのである。
■ 無数の人がそれぞれに異なった価値観を生活に求めている。その中でお互いに尊重し合い協力しながら、それぞれに生活の実現を目指すのだ。もちろんその過程で各人において多少の貨幣の多い少ないは生まれるであろう。しかしそれはただのプロセスに過ぎず、問題はその本質である各人の生活価値の実現なのである。つまりこの観点に立つ限り、貨幣の多少は生活価値を高めることに直結しないため、貧富の差自体が問題ではなくなるのだ。
■ そうなると市場経済を評価する際の注意点は、貨幣の多少(ここでは貧富の差)ではなく、その貨幣の多少によって生活の多様性が達成されているか否かになる。もちろん現実には貨幣の多少にばかり目が行きそこに執着するあまり本質が見えなくなってしまい易い。そこで市場経済の次なる課題は、人々が貨幣という単一の価値だけを追い求めることにならないように、いかに多様な生活の価値を求めさせるようにするかということになる。
■ ここで大きな役割を果たすべきなのが政府である。バブル期のように人々がマネーゲームに執着し始めたら規制することも出来るし、人々に多様な生活価値の実現を促すこともできそうだ。そして何より市場経済に直接参加する我々の意識・姿勢が変わることが大きいだろう。
§3 不確実性を直視する
■ 我々の生活には常に不確実性が伴う。しかもその不確実性はあらゆることから生じてくる。事故や病気のリスクから価値の多様性に起因するものまで、実に様々な不確実が存在する。特に価値観の相違からくる不確実性はコミュニケーションの不確実性となって表れることが多いが、それは文化摩擦や貿易戦争、もしくは世界大戦にまで発展する恐れすらある。
■ そこで相互に自己を主張しながらも思いやりを持って、場合によっては自分の生活信条を変えてでも共生の道を探っていくことが重要になってくる。不確実性から来る不安に耐えかねて、仮に政府に保障や助けを求めるようなことは本質的にまったく意味がない。それは確実な世界への幻想を抱くだけで、単なる現実世界の逃避にしかなっていない。確実な世界など当然あるわけもなく、我々は自らの不確実性を直視し対処していかなければならないのだ。
■ そして現実問題に対処するためには、他者とコミュニケーションを取ること、すなわち勇気と寛容の精神が必要になってくる。自分の生活を活かすために市場経済に参加し、反面そこからくる不確実性も同時に引き受ける。その中で多様な生活と繋がり試行錯誤することが新しい生活を生むのであり、発展可能な社会を構築できるのだ。
§4 市場経済の捉え方
■ 確かに市場経済には貨幣の重み、換言すれば貧富の差が存在する。しかし前述したような意識・イメージを持ち市場経済に参加すれば、そこには生活の価値という新たなそしてより優先的な判断基準が見えてくるだろう。貧富の差はそれ自体が第一義ではないため、副次的なものに過ぎなくなっていくはずだ。
■ もっとも現実の市場経済が既に単線的なマネーゲームに陥ってしまう場合もあるだろう。そんな時はやはり我々が政治的知性を発揮し参加し、市場経済自体に手直しをする必要があるだろう。貧富の差が多様な生活の価値が見えなくなるほど拡大するような時は、例えば政府による是正措置が講じられてもいい。しかし忘れてはならないのはそれは市場経済を共生の場として機能させ続けるためのものであり、すべての富の平準化であってはならない。
■ 市場経済は多様な生活が互いに出会う場であり、この有機的連関を理解することは非常に大切なことである。よって市場経済をまったくの自律的システムとだけ理解するべきではなく、むしろ貨幣を媒介として多様な他者とのコミュニケーションが大きく左右する場と捉えるべきだ。その意味で市場経済のあるべき姿とは、貨幣・生活・多様性が相互に拮抗し常にそのバランスを模索するところにある。そして最も重要な事は、市場経済に参加する人々が自らの生活の向上のために市場経済が必要なのだと思うこと、すなわち市場経済への信頼である。この信頼が崩れた、あるいは生まれていないという時、その市場経済は本当の意味で破滅に向かうのである。
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