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● 自由とはなんだろう

第4章 民主主義の進むべき道

by飯田 耕平

§1 日本の民主主義

■ 我が国での一般的な民主主義への理解はどのようなものであろうか。それは政府が形式的審議と多数決原理を利用して、福祉国家を実現しようと平等主義的な政策を実施するということで落ち着くだろう。これをここでは日本型福祉民主主義と呼ぶことにする。以下ではその特徴を列挙しよう。
(1) 民主主義は政府による政策決定を正当化するための手段である
(2) 政府が平等の中身を定める点において、この考え方はある種の平等を実現する反面、規制主義的な側面をも有することになる
(3) 政府が国民に福祉の恩恵を与えるという点で、国民の間に依存体質が生まれやすい

■ これらの特徴は様々な問題を生み出してきた。まず、(1)により民主主義自体が本来の目的であるということが国民の中で曖昧になってしまう。また(2)の結果、民主主義が人々の行動の自由を侵害し、しかもその束縛が正当化されてしまう。さらに(3)は、規制緩和に対する既得権益者の横暴を助長するばかりか、国民心理を操り規制廃止を事実上無理なように働きかける際の原因ともなってしまっている。

■これらを克服するためには民主主義自体を改めて問い直す必要があるだろう。そして民主主義が我々の社会にとって間違いなく必要であることを再認識した上で、より自発的な民主主義のあり方を模索していくことが本章の目的である。

§2 民主主義の意義

■ 民主主義の本質は何かという問いには一般的に
(1) 民主主義の本質は個人の権利の保障にある
(2) 民主主義の本質は政治参加と社会的連帯性の実現にある
という主張に分かれる。

■ (1)は個々人の基本的権利を保護することがその第一義であると主張する立場で、自由主義的な民主主義観と呼ばれる。代表的な人物にジョン・ロックがいるが、彼の思想によれば、仮に政府が多数決で政策を決めても、それが明らかに表現の自由や財産権を侵害するならば、その政策は民主的合意に反するものとして放棄されるというものだ。

■ 一方、(2)は共和主義的な民主主義観と呼ばれる。この主張の代表的な人物にはジャン・ジャック・ルソーがいるが、彼が理想の市民社会を小都市ジュネーブに求めたのは、そこでは個人は自律していて、しかも利潤を追求するのでなく、公共精神を持って政治に参加していたからだ。要するにこの立場では民主主義の目的は市民による社会の連帯性と公共の利益を実現することにあり、それは富の蓄積よりも重要視されたのだ。

■ (1)にも(2)にも共通して言える事だが、民主主義が実現すべき特定の価値を絶対視する傾向があることがそもそも問題であろう。(1)では表現の自由や財産権の不可侵性を、(2)では政治参加と社会的連帯の価値を絶対視している。

■ しかし問題を高度に複雑化した現代に照らし合わせてみると、むしろ権利の不可侵性より衝突する権利の調整をする必要の方が強調されるべきである。その権利は相互尊重的な権利でなければならない。またある特定の価値のみを全体で追及することは、社会的文化的多様性を認める現代社会にまったく適合しないであろう。

§3 政府の役割

■ 多様な権利が交錯する中で、民主主義は権利の調整について議論する必要がある。またそれぞれに様々な価値観を持った市民が、自らの求める社会を構築するために政治参加することも同様に必要である。そしてさらに重要な事は他者の視点を受け入れながら自らも主張し、各人がお互いに多様な意見を率直に議論できる環境を整えることである。その意味で、民主主義の目的は議論の余地を確保することであるともいえる。

■ これに対し国家の役割はどうであろうか。国家は表現の自由と財産権を保障するべきであるが、同時に干渉し過ぎるべきではない。ただある人が身体的あるいは経済的理由でその権利を奪われるようなことがあれば、それに対し手当てをすればよい。国家の福祉政策とは本来この形が理想といえるだろう。

■ また国家は人々に広く政治参加を認め、政治への関心を抱かせることに尽力すべきだ。しかしその後は個々人の自発性に委ねるべきで、国家は政治参加を強要したり、特定の道徳観念を押し付けることはしてはならない。

§4 民主主義の真の目的とは

■ 民主主義は進化しているのであろうか。確かにその歴史は浅いが、法律上の制度としての民主主義は格段に進化しているといえるだろう。しかし民主主義の本質である議論に焦点を当てると、まだまだ成熟しているとは言い難くこれからの発展に期待していかなければならないだろう。

■ これから民主主義が向かうべき方向は多数決の政治ではなく、議論の政治にある。実質的で自発的な議論を実現するためには、持続的な実践の中で積み上げていくしかない。議論の持続が議論の伝統を生み、議論の発展に繋がるのだ。それでは議論の持続には何が必要なのであろうか。人類史上初めて民主主義が誕生した古代ギリシャの民主主義をヒントに考えてみたい。

■ 古代ギリシャのソフィストは民主主義を次のように捉えていた。彼らはまず民主主義を議論の政治と捉え、議論の重要性を強調した。また「議論は弁論競技である」とし、その優劣を競うことに主眼を置いた。これに対しては、ソクラテスが「議論は共同探求である」と強調し、議論における本質はその勝ち負けではなくお互いに真理を探究することだと反論している。

■ さらにソフィストたちは議論の場に立ち会う聴衆の姿勢にも注文をつけている。それは聞き手は公平な聞き手であるべきだが、平等な聞き手であってはならないということだ。そして聴衆の積極的な参加を要求し、常に当事者意識を持って聞くべきと主張した。

■ 聴衆の意識に言及しているのは民主主義がエリート主義になりやすく、簡単に観客民主主義に陥ってしまうという弊害を懸念してのことであろう。つまり議論の持続、発展に関して重要なことをまとめると、議論の重要性を強調し、相互に話し合いその本質を探り、その議論に聞き手が主体的に参加するということだ。

§5 寛容な姿勢

■ 民主主義をさらに発展させるために必要な事は何か。それは「寛容な」姿勢である。人間は誰しも失敗をする。その失敗を恐れていては良い議論は生まれない。失敗を恐れず勇気を持って発言し、より良い社会を構築しようと努力を惜しまない、そこには議論の可能性があり意味も出てくる。大事な事はその失敗に対し、寛容になるということだ。過ちに寛容な議会制民主主義は民主主義の発展系であろう。

■ また民主主義には限界があることも自覚しなければならない。民主主義が常に正しい結論を導くとか、民主主義の世界が唯一無二の理想社会であると考えてはいけない。むしろ民主主義は常に誤りを含みうるものだということを理解し、それゆえ節度と謙虚さが求められる。

■ 民主主義の関与すべき領域の限界も考えるべきだ。社会のあらゆる事項が民主主義によって決定できることではない。例えば経済については市場に任せるべきで、個人の自由についてもすべてに口出しはするべきでないだろう。このように民主主義の限界を受け入れることができることも、寛容な民主主義に不可欠なことである。

§6 多数決

■ 徹底的に議論してそれでも意見がまとまらなかった時、民主主義では多数決の方法が取られる。しかし誤解してはいけないのが、多数決はそこに正しい答えを与える事がその本来の意義ではないということだ。むしろ人間は間違いうる存在であり、だからこそ相互に生活価値を尊重すべきだということを、実質的で自発的な議論を通じてお互いに認識し合う事が重要なのである。

■ 多数決というのはその意味でただ答えを出して終わりということではない。多数決後、少数派は多数派の意見を公共的決定として受容しなければならない。しかし同様に多数派も少数派の意見を強く認識することで、これからの議論の新たな多数決の可能性を受け入れなければならないのだ。このように多数決の論理や民主主義の限界を意識しながら、一つ一つの議論において相互尊重の精神を求めること。これが寛容な民主主義のあるべき姿である。

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