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● 自由とはなんだろう

第2章 不確実性とコミュニケーション

by飯田 耕平

§1 生活者

■ 人間は確固たる道徳律に従って何の迷いもなく行為し、冷静な合理的計算に則って行動するというわけではない。色々なことに悩み、また他者の存在に触れて精神的に動揺しながらも、自分のこれまでの生きかたにこだわりつつ少しずつそれを軌道修正し、未知なる状況に飛び込んでゆく。ここに生活倫理の担い手である人間のしたたかさと主体性がある。このような人間を示す概念として「生活者」という言葉を用いる。

■ 生活者とは、社会の中の個人としてそれぞれの生活を営みつつ、他者と交流し相互に影響を与え合うことで人格を形成する。そしてそれによって各々の生活の価値を見出していくのである。よって生活者は単なる合理的な存在として主体的であるというわけではなく、他者との相互交渉を繰り返しそれを自らの生活の糧とするという意味で主体的であると考えられる。

■ ところで他者とのコミュニケーションは非日常の出来事であり、そこにはコミュニケーションの失敗がしばしば見られる。そのため我々は一般的に身内との付き合いを優先し、見知らぬ他者との出会いを敬遠しがちだ。しかしそもそも我々が他者と出会う場である社会は、仲間内の社会ではなくその外に大きく広がる社会である。

■ 生活者は様々な場面で見知らぬ他者とコミュニケーションする。たとえその過程でコミュニケーションに失敗しても、それをも生活の糧としうる主体である。そもそも失敗のリスクを引き受ける勇気も生活者のコミュニケーション力なのだ。そして我々の社会にはそのような生き方をバックアップし、失敗を許容する仕組みが埋め込まれている。それが「民主主義」と「市場経済」というシステムだ。

■ 民主主義において議論は身内・仲間内の同調現象ではない。議論は多様な意見を反映する。そして様々な意見を公共的な意思としてまとめていくには、決して単純な一回きりの多数決では事足りない。むしろ、試行錯誤を繰り返す合意形成の過程である。

■ 同様に市場経済において商売とは仲間内の商いではない。多様な他者と出会うことによってはじめて商売は成り立つからだ。勿論そこにはコミュニケーションの失敗が大いに存在する。だが市場経済ではセカンドチャンスが認められている。多くの成功者も失敗の上に成功を築き上げてきたのである。

■ 生活者はこうした民主主義や市場経済の場でしたたかに自己を主張し、他者と出会い、自らの生活価値を見出していく。要するに民主主義と市場経済は、生活者が他者と交流し、自分の生活を少しずつ修正し、自分なりの生活の価値を見出すための修練の場なのである。

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§2 コミュニケーションの三要素

■ 生活者のコミュニケーションには三つの要素がある。それは次の三点だ。
(1) 生活へのこだわりを持つこと
(2) 他者との関係を見出すこと
(3) 生活を越えること
以下で、順に見ていこう。

■ まず生活にこだわるというのは、生活を営む上で自分たちが培ってきた美意識とかモラルを大切にすることである。一つ一つの場面で自分なりに生活のルールを立て、自分の人生を生きていく事だ。このような生活のこだわりを可能にしているのも、民主主義や市場経済という制度である。また自らの生活にこだわりつつ民主主義や市場経済に関わることが、生活者として民主主義を実践し、市場経済を実践することとなる。

■ 生活者としてこれらを実践する事は、場当たり的に生きる事でも、目先の生活のために自分のプライドを簡単に放棄することでもない。無論、他者の存在を拒否する偏狭な生き方とも違う。生活者にとって、民主主義や市場経済の本質は、違う生き方にこだわっている他者と出会うことにある。民主主義や市場経済という場で、他者という存在に触れる事によって、自分の生活のこだわりを自覚化する。また、そこで他者と関係を結ぶ事によって自分なりの新しい生活価値を見出していく。

■ ただ無縁の他者との関係を見出すためには、それぞれの生活のこだわりを相互に尊重するための共通のルールを構築することが必要となる。生活へのこだわりや思いは多種多様だから、各人が少し譲歩してより一般的なルールを尊重し、それを信頼することも必要だ。実は民主主義や市場経済はこの一般ルールの集まりなのである。共生のためのルールとして、議論と経済が多様な生活の橋渡しの役目をしているのだ。

■ 自分なりの生活ルールを立てることと、生活の一般ルールを互いに尊重することとの違いは、生活を営むことと生活を越えることとの違いである。生活を越えるということは、自分の生活のために他者と共有しうる社会生活のイメージを生み出す事である。生活者は自分の生活を守りつつ、その一部を断念して、より広い社会生活のイメージを共有する。そのため常に自分の生活ルールと社会の一般ルールとのバランスをとってゆかねばならないのだ。この意味で生活者とは、生活を営むと同時に、生活を越えることによって生活を築いていくのである。

■ 将来が不確実であるとき、我々は生活に不安を感じる。一般にその不安を解消するために取られる対応は二種類ある。一つは不確実な事態を回避することで不安を取り除く方法、もう一つは生活とはそもそも不確実なものだと割り切ることで不安な気持ちを切り替えるというものだ。

■ 勿論どちらの場合も不安そのものが完全に解消されることはない。だが不確実性に対して自覚的に対処することこそが、生活者としての主体性を発揮することに他ならない。現実生活を営みつつ自分なりの生活ルールを探求し、同時に生活を越えながら社会の一般ルールを模索する。そしてそこで直面する自分探しの不安や不確実性を勇気を持って引き受ける。これが主体的な生活者というものだ。

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§3 議論と交換の社会へ

■ 人間は自分の周りの環境、つまり社会がいかなるものであるかに応じて、さまざまな存在になりうる。歴史を振り返ってみると良くわかるが、それぞれの社会がそのほとんどの時代を通じて権威と服従の社会であった。

■ 権威と服従の社会ではそれにふさわしい人間像が求められる。すなわち、いかに立派な権威となり、いかによく服従するか。それがこれまでの社会での人間論の課題であった。そしてそのために人間とはいかなる存在であり、いかなる存在であるべきかを認識しようとしたのだ。

■ 現代はある意味でまだ権威と服従の社会の残滓を色濃く残してはいるが、明らかに違う社会の方向性を模索し始めている。その社会とは議論と交換の社会である。このような社会の変化に伴い、求められる人間像も変わってきた。「いかによく議論し、いかによく交換するか」現在ではこれが新たな人間論の課題となっている。

■ これまで述べてきた生活者の主体性は、生活の日常性が壊れて非日常性が露わになった時に、その力量が大きく問われることになる。そんなときこそ生活者はこれまで培ってきた生活の基盤を元にして、その重要な一部分を犠牲にしながらも、未来の生活への好奇心や勇気を発揮していくしかない。

■ こうして徐々に新しい社会環境が整ってくると、今度はそれに依拠しながら生活者は新たな生活を築くことができるようになる。これを正の循環と呼ぶ。そしてこの正の循環を可能にする基本的枠組みが民主主義と市場経済なのだ。生活者としてこの枠組みを信じ実践すること、これもまた生活者の勇気であり主体性である。

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