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第1章 マクドナルド化現象と日本 |
by葛原 怜 | |||
§0 はじめに■ 「マクドナルド化(McDonaldization)」とはファーストフードのマクドナルド・ハンバーガー店を規定としている合理的で効率的な諸原理が、(外食産業以外の)ますます多くの領域で、さらに一層多くの地域で影響力をもつようになる過程である。この概念はG・リッツァによる「社会のマクドナルド化」と題する本が刊行されて以来、現代社会分析の主要な概念として様々な分野で広く用いられるようになった。G・リッツァの「マクドナルド化」論はM・ウェーバーの近代社会を分析するための合理化論に立脚し、その延長上に「近代」の成熟段階にある現代社会を分析するための用具として提示されたのである。 ■ 今日われわれが経験している人間社会のグローバル化は「近代化」の帰結かそれとも多くの世紀にわたる長いプロセスを意味するのかという議論がある。いずれにせよそれは、科学技術の発達に象徴される人類社会の合理化過程と不可分に結びついており、合理主義理念の浸透過程でもある「近代化」とは無縁ではない。しかし、成熟した近代社会において、様々な矛盾が露呈するようになり、その合理化過程自体が今問い直されている。「脱近代/ポストモダン」という言葉がささやかれるようになったのもそのためである。 ■ 「マクドナルド化」という概念は、現代のようなグローバル化とポストモダンという状況の根底をなす人類社会の合理化過程を端的に表す言葉でもある。リッツァ自身はアメリカ社会のマクドナルド化、すなわち合理化過程の過度な進展が逆に人間にとって非合理な状況を生み出すものとして、危機感を抱いている。彼は、日本もアメリカと同様にマクドナルド化されているのではないかと感じ、もしそうならば、日本社会での矛盾や問題点は何なのかということを明らかにしていかなければならないと問い掛けている。
§1 マクドナルド化の概念■ マクドナルド化の概念というのはドイツの社会学者のマックス・ウェーバーに端を発している。彼は西洋の合理化の研究を重ね、西洋以外の他国もそのうち合理化していくのではないかと考えていた。まさに、20世紀における日本の工業化や産業化はその一例である。つまり、日本は自国の文化があるにもかかわらず西洋の技術革新、工業化、合理性といったものを取り込んできたという特殊な能力があるということである。そう考えれば、日本国内でマクドナルド化がかなり浸透しているということも納得できるであろう。 ■ マクドナルド化には合理化を追求するために大きく分けて四つの原理がある。※効率化、予測可能性、計算可能性、脱人間化である。またそれらの合理性の中にも非合理性が存在する。これが非常にマクドナルド化の中で重要な点である。つまり、非合理性を見つけることによって、マクドナルド化のプロセスを分析することが一層十分にできるのである。 ※(詳細はhttp://eri.netty.ne.jp/honmanote/kyozai/economy/001mac/index.htm参照) ■ ここで、ウェーバーの四つの類型を、先ほどの四つの条件とは異なるが、合理性の類型としてあげてみたいと思う。一つ目は実践合理性である。これは、いつもこういう形でやっている、毎日このような形でやりながら特定のゴールに到達するためにもっともいい実践的な方法を見つけるということである。習慣的な形をとってゴールに到達する、これが実践合理性である。 ■ 次に理論合理性である。これは認知的なツール、つまり知的なツールを使って考えて、特別な状況にどのように合理的に対応していったらいいかということを考えるということである。三つ目は実質合理性である。これは、文化的な価値があってそれを使えば目的に到達するための一番良い手段を定義してくれるということである。つまり、文化的な価値がベースとなって、どのようにゴールに到達するかということの示唆があるということである。 ■ 四つ目の合理性というのは形式合理性である。これはマクドナルド化と深い関わりがあるものである。これは、目的に到達するための最適手段を決定するのに役立つルールや規則を備えた、より大きな構造が存在するということである。日本でもある程度の形式合理性が長い間あったようである。1940年代後半、日本に西欧の考えやテクノロジーが輸入された。流れ作業もそのひとつで、これは後にマクドナルド化の前兆となったのではないかといわれている。そして、マクドナルド化は合理的な原則を、生産と消費という形で商品を通して実現してきたということになる。
§2 日本のマクドナルド化と拡大■ ここで問題となることは、日本の産業というのは形式合理性を導入したのみならず、ほかの三つのタイプの合理性、つまり、実践的、理論的、実質的なものと統合してきたということである。四つのタイプの合理性を統合したもの(これをハイパーラショナリティーという)が1970年代ぐらいまでに、日本において構築されていったのである。そして、この産業システムゆえに日本は世界の市場において、エレクトロニクスや自動車の競争力を持つことになったのである。 ■ 日本がマクドナルドのシステムを受け入れるベースがあるという前提に、近代化の中で日本の産業特に自動車産業はアメリカ的なものを受け入れるのに成功したということがある。そういうベースがあったから、マクドナルド化もアメリカよりもかえって徹底した形で日本に根付いて土着化していくのではないかということが考えられるだろう。 ■ さらに、日本におけるマクドナルド化は拡大していくのかという問題がある。資本主義の原理から見れば拡大していくほど儲かるというものではあるが、マクドナルド化はどのように拡大していくのであろうか。まず一つ目は、地理的な拡大がある。アメリカで店が増えると頭打ちになるので、他国にまで広がるという地理的な拡大である。それから、制度的な拡大がある。これは、ファーストフード・レストラン以外の教会や学校や病院といった他の諸制度でも、全部マクドナルドシステムのようなマニュアル化された形で組織が動いていくような形になることである。 ■ 三番目は垂直的な拡張である。これは、マクドナルドの店で効率的にマクドナルドハンバーガーを提供するためには、材料を提供する人や従業員やお客でさえも全部効率性の原理のもとでマクドナルドかされていくということである。このように、いろいろな人間生活の領域の隅々までマクドナルドの原理が広がっているということになる。マクドナルド化は国境などまったく関係なく拡張していく。 ■ さて、マクドナルド化は「グローバライゼーション」なのか「アメリカナイゼーション」なのかという問題がある。近代化というものは、西欧やアメリカの原理がアジアやアフリカといった他の地域に広がっていく一方通行的な原理のことである。しかし、グローバライゼーションというのは多方向的であるといえる。ただ、だからといってマクドナルドのやり方やフォードシステムのようなやり方で日本の生み出した製品をアメリカへ輸出することは、逆方向のジャパナイゼーションではない。問題は、日本的なものを作る原理とか方法が逆にアメリカへ出ているかどうかということなのである。 ■ 例えばフォードシステムに関しては、これを改良した日本のジャスト・イン・タイム・システムや品質管理システムというのをアメリカが逆に学んだわけである。これはアメリカナイゼーションの逆であるジャパナイゼーションとしてとらえられるかもしれない。 ■ その他にマクドナルド化はモダニティかポストモダニティかという問題がある。マクドナルド化現象というのは、近代化のひとつの原理でとらえるのか、ポスト近代化的な流れとしてとらえるのか、結論は両方である。効率化、マクドナルド化というのは、フォーディズムのような自動車の大量生産システムのような近代的な原理の延長上にある。しかしそれだけではなく、マクドナルド化という現象は生産の面だけでなく、消費の面にも表れている。生活のあらゆる領域が効率化、マニュアル化していく中で人間関係が非常に表層的、断片的になってきた。こういうところはポスト近代的な部分である。 ■ ここまでマクドナルド化のことを見て、このようなマクドナルド化が日本にもたらした肯定的、否定的な両方の側面を検討する必要があると言える。
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