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● これからの社会展開

第3章 グローバリゼーションの行方

by 飯田 耕平

§0 はじめに

■ いま我々の社会は大きな変革期にある。グローバリゼーションの大波が国境という概念を払拭し世界を一つへと駆り立てているのである。もちろん我々がボーダレス化へと移行する要因は、その方が世界平和や消費生活の質の向上を期待できるからである。そしてその期待通りグローバル化は我々に様々な恩恵をもたらしている。より早い経済成長、より高い生活水準、今までにない新たな機会の創出などグローバル化によるメリットは計り知れない。

■ しかし一方でグローバル化はテロリズムや兵器の売買といった国際的な犯罪を容易にさせてしまっている。また経済的な恩恵も一部の限られた人々が独占している状況で、各国の経済格差拡大を助長する原因ともなっている。このような世界的な富の偏在は政治、宗教・民族対立を深化させ、時として先進国に対する嫉妬や憎悪へと繋がる恐れもある。世界を震撼させたアメリカ同時多発テロの発生には経済的な要因がその根底にあると考えられている。

■ このような世界情勢の中で、グローバル化は本当に世界の平和と繁栄に貢献していると言えるのであろうか。この問題への接近を試みるため、この章ではまずグローバル化へと移行する世界経済の流れとその功罪について振り返る。そして国際機関の役割と反グローバリズムの動きを踏まえながら今後の貿易システムついて検討したい。

§1 世界経済の新潮流へ

■ 現在のグローバリゼーションの動きはいつ頃から端を発したのであろうか。それについては幾つかの見解があるが、一つには第二次世界大戦後にブレトンウッズ体制がとられてからだと考えられる。この体制が自由貿易を促し世界経済をグローバル化へと駆り立てたのである。それではなぜ自由主義経済に向かっていったのであろうか。

■ 世界の経済秩序が変化した要因には、第一次世界大戦後の理想主義の失敗が挙げられる。1930年代の世界恐慌を受けて、主要国は自国経済を守るためブロック経済による保護貿易政策をとったが、結果的にその動きが第二次世界大戦へとつながってしまった。そのため戦後はその反省により、世界経済の流れが保護貿易から自由貿易へとシフトしていったのである。

■ 1944年、自由で円滑な貿易を推進するためブレトンウッズ会議が開かれた。この会議には連合国44カ国が参加し、戦勝国であるアメリカが中心となった。会議では国際通貨制度の再構築や、安定した為替レートに基づいた自由貿易に関する取り決めが行われた。そして国際通貨体制を支える機関として国際通貨基金(IMF)や国際復興開発銀行(IBRD)が創設された。その後GATT(関税と貿易に関する一般協定)が定められ、これをもって自由主義貿易の柱が形成されたのである。またIMFとIBRDにより管理される金本位制と固定相場制、さらにGATTによる貿易の自由化という新しい世界経済秩序をブレトンウッズ体制という。

※注IMF 1944年、ブレトンウッズ会議で採択されたIMF協定により、1946年に国際通貨体制を支える国連専門機関の1つとして設立。短期的な融資などによる金融支援や国際収支危機を未然に防ぐための政策監視などを主な活動としている。財源は加盟国の共同出資。2003年現在の加盟国数は184カ国。
※注IBRD 発展途上国の経済発展と世界経済の安定を目的に、加盟国や民間企業などに長期的な資金融資を行っている国際金融機関。一般には「世界銀行」と呼ばれている。最近は特に発展途上国に対する援助機関としての役割が大きい。1944年のブレトンウッズ協定によりIMFとともに設立が決定された。2003年現在の加盟国数は184カ国。

■ 当時のアメリカは圧倒的な経済力を誇っていたため米ドルが基軸通貨となった。国際金融体制は経済大国アメリカの力とIMFのサポートによって安定し、経済の自由貿易化は加速された。またGATT体制の下、計8回にわたる多角的な貿易交渉が行われ、財・サービスに対する関税障壁の低下が促進された。そのため戦後の世界貿易は大いに拡大した。1970年代以降は、規制緩和と民営化、情報・輸送技術の進歩によってさらなる飛躍を見せた。

※注GATT 1948年、貿易面から国際経済を支える枠組みとしてGATT体制がスタート。貿易に関する様々な国際ルールを定め、その基本原則は、貿易制限措置の削減と貿易の無差別待遇(最恵国待遇、内国民待遇)である。

■ このように自由貿易拡大のインフラが整備されるにつれ、国家は貿易を積極的に行い、企業は多国籍企業へと変貌し、その市場を拡大させていった。これがグローバル化の始まりである。資本主義経済における合理化の追求であり、より生産性の高い、あるいはより需要が見込める市場へと世界中を駆け巡る。つまり経済のグローバル化は資本主義においていわば必然なのである。

■ 例えば東西冷戦の終結もグローバリゼーションを加速させた。それは今まで東側に属し未開発であった巨大な労働市場が、資本主義経済の中に組み入れられたからだ。突然、中国やインドに代表される優秀で安価な労働力が出現したのである。国際競争力を高めるために安価な労働市場を最大限に利用しなければならないという要請が出てきた。それが企業経営面におけるグローバル化の背景である。

■ もちろんIT革命の貢献も忘れてはならない。そもそも国際的な市場統合を実現するには地理的距離や領土的国境が最大の障壁となるが、通信・情報技術の発展がそれを克服させたのである。その最も顕著な分野は資本(マネー)である。情報化された電子マネーは世界中を駆け巡り地球規模の経済交流を支えているのである。

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§2 アジア通貨危機

■ そんなグローバル化の波を巧みに利用し、大きく経済成長した地域の一つが東アジアである。世界銀行をして"東アジアの奇跡"と形容されるほどの勢いで、1970年台から驚異的な経済成長率で発展していった。その勢いは90年台に入っても衰えず、かつて脆弱であった東アジア経済はNIESやASEANを中心に成長、世界経済における地位を格段に上昇させたのである。

■ 発展の要因には大規模な外資導入策が挙げられる。政府が積極的に市場を開放し国際経済に参加、モノ・サービス・技術の貿易、直接投資をはじめとする資本移動を進めていった。加えて国内の教育にも力を入れていたため質の高い余剰労働力の供給を可能とし、高度成長を成功させたのである

■ しかし順風満帆であった東アジア経済にも突如として翳りが見え始めた。1997年7月、タイの通貨バーツの切り下げを皮切りに通貨危機が起こったのである。そして通貨危機の余波はインドネシア、マレーシア、フィリピンのASEAN諸国に拡がり、ついにはNIESの優等生と目されていた韓国にまで波及した。これがアジア通貨危機である。

■ 通貨危機が起きると自国の為替レートが大幅に変動して、経済が混乱してしまう。事実タイではバーツの大幅下落の影響で経済は停滞し大きな損害を被った。インドネシアでは97年まで年平均の前年比実質経済成長率は7〜8パーセント(出所:IMF)であったが、通貨危機後の98年はマイナス13パーセントにまで落ち込んだ。

■ ところでアジア通貨危機の原因とは何だったのであろうか。発端となったタイを例に見てみると、タイ政府が市場のバーツへの売り圧力に耐え切れず、為替政策を管理フロート制に移行したことが直接の原因である。そのためバーツ売りに一層の拍車がかかりバーツの流通価値が下落したのである。

■ バーツへの市場の売り圧力が増したのは、タイ経済に対する投資家の不信感や危機感が原因である。90年台以降、自国の経常収支赤字を超えるほどの過度な外資導入を進めたため、対外債務残高は急激に増大していった。そして資本の流入はバブルを招きその崩壊とともに不良債権問題が浮上したのである。

■ さらにバーツは通貨バスケット制をとっていたが実質的にはドルペッグ制であったため、ドル高の影響を受け輸出が伸び悩んでいた。またドルに連動していることが機関投資家に為替リスクを回避させる要因となり、バーツは投機の対象となってしまったのである。このような金融のグローバル化が招く流動性危機はその後の課題となるのであるが、ヘッジファンドによる多額の資本流入と流出は経済を混乱させ、タイ政府に大きな打撃を与える結果となった。これらの要因がバーツに対する市場の信頼を著しく低下させ、投資家に急激な投売りが行わせたのである。

※注 通貨バスケット 複数の主な貿易相手国の通貨を固定された量で加重平均し(通貨バスケット)、これに自国の通貨をリンクさせ為替レートを連動させる制度。加重平均のバランスが重要となる。
※注 ドルペッグ制 開発途上国に多く見られる為替政策。米ドルと自国の通貨を連動させ、貿易、投資を活発に行おうとするもの。基本的に為替変動のリスクは少ないが、投機アタックの対象になりやすい側面もある。

■ アジア通貨危機への対応を迫られ事態の解決に尽力したのはIMFであった。支援を要請されたIMFはタイ、インドネシア、韓国等の危機対応策の作成、実施の中心的役割を担った。その際、IMFが要請国に課した財政金融政策あるいは構造改革等に関する条件(コンディショナリティー)は非常に厳しいものであったが、それでも加盟国は支援を求めた。それは何故なのだろうか。

■ もちろん問題の基本的解決をIMFの対応策に期待するといった見方は出来るだろう。IMFの実績としてのラテンアメリカ通貨危機への援助は、要請国にとっては心強いものであったはずである。しかしもう一つ理由がある。それは主に他に頼る機関がないことだ。なぜならIMFのプログラムに合意できなければ世界銀行やアジア開発銀行等の他の国際機関や先進国の援助、民間の金融機関は融資をしないのが普通である。しかし反対にIMFが融資を始めればその国への信頼性が生まれ、他の機関からの資金調達が可能となってくる。これはIMFの触媒的役割と呼ばれる機能である。

■ しかし国際機関はその存在的意義からして、通貨危機のような緊急の事態が起きた際に頼られるべきである。なぜなら一国が他の国へ支援を求めればそこには必ず利害関係が生じてしまう。あるいはその問題が大きすぎて一国では対処しきれないといったこともあるだろう。国際的に公平な立場で世界経済を秩序づける組織というのはやはり必要である。自由経済の中にも国際協調は不可欠なのである。

■ グローバル化が進み経済が複雑に絡み合っている現代では、通貨危機は一国の問題ではなく世界経済に影響を与える性質を有している。アジア通貨危機によりアメリカの国債や株式が急落し、その後のロシア通貨危機では世界同時株安が起こったのはそのためである。そもそも通貨危機がこれほどまで波及していったのも、アジア地域が経済的に強く密接に結びついていたからである。

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§3 自由主義経済の中の日本

3‐1 拡がる自由貿易協定(FTA)

■ WTO主導のもと世界的な自由貿易システムが強化されていく一方で、EUを始めとした地域経済化が各地で進んでいる。以前から自由貿易協定(FTA)を結ぶ動きはあったのだが、90年代に入りその数は急増した。これにはどういった背景があるのだろうか。

※注 自由貿易協定
(FTA)
特定の国や地域が貿易を活発にするため関税や輸出入制限などの関税によらない貿易障壁を撤廃する取り決め。二国間または複数国間で投資、サービス、知的財産権、競争、紛争解決など幅広い分野を網羅し結ばれることが多い。
※注 WTO ウルグアイ・ラウンドの結果、GATTを拡大発展させる形で運営するための国際機関として1995年に設立。世界経済の変化に伴い、(1)非関税措置に対する対応、(2)新たな分野への対応、(3)紛争処理機能の強化など大幅な貿易ルールの拡大がなされた。

■ 要因として挙げられることは、WTOが推進する世界規模での多国間交渉では時間がかかり過ぎるということである。貿易における新ルールの導入やどういった条件で貿易をするか等を話し合う際、その進み方が極端に遅い。その点、主に二国間交渉であるFTAは合意までが比較的早いため双方にとって利益があるわけである。

■ そんな中、FTAはその趣旨がWTOと矛盾するのではないかという懸念が生じてきた。しかしWTOは「WTO原則の最恵国待遇には本来的に反するが、その貿易自由化効果ゆえに、一定の要件の下にFTAが認められる」とその存在に肯定的である。よってFTAはWTOの補完的な要素として世界中で結ばれているのである。そのため世界経済は多国間の自由貿易化が進展される中で、同時に地域経済協定も拡がるという複合的な展開になっている。

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 3‐2 これからの日本の経済外交

■ しかしこのような世界情勢の流れに我が国はうまく順応できていない。現在ほとんどの国が何らかのFTAを結んでいる中で、日本はつい最近までどの国とも経済協定に類する関係を築いてこなかった。ようやく2002年にシンガポールと初の自由貿易協定(FTA)を結んだが、未だこのままでは日本は経済的に孤立するのではないかという危機感は拭い切れない。

■ それでも日本が積極的に自由貿易協定を結べない理由は農業問題を抱えているからである。そもそも国内の農業を保護するために農業分野の自由化を認めなければ、FTAもWTOの多国間交渉も不可能なのである。しかし日本は貿易で成り立っている国であるため、これからは徐々に農業分野の自由化を進めていかなければならなくなっていくだろう。

■ 日本は2001年に輸入品のネギ・椎茸・畳表の農産物三品目に対し暫定セーフガード(緊急輸入制限)を発動した。これら三品目の国内生産者が打撃を受けたからである。しかし貿易相手国の中国からは日本は保護主義だと非難され、対抗措置として日本製の自動車に高関税を課すと圧力をかけられてしまった。最終的に日本はセーフガード発動をせず、妥協する形で交渉は終了した。

■ 長い間このような貿易摩擦は日本とアメリカの間で問題になってきた。日本製の自動車やカラーテレビはアメリカにダンピングであると非難され、結果的に日本が輸出自主規制する形で事態が収拾されることが多かった。その度に日本はアメリカの保護主義を批判し、GATTやWTOに貿易の自由化を訴え続けてきたのである。

■ このように日本は最も自由貿易を希求し、また最も恩恵を受けてきた国であるにも関わらず、農業分野の自由化に踏み切れないでいる。そのため自由貿易体制の維持に貢献すべき立場にありながら、拡大している自由貿易協定や地域統合にも積極的に参加できないのである。そこに経済大国日本のジレンマが垣間見られる。

■ 今後日本はより一層の農業分野の開放を迫られるだろう。単純に自由化すれば良いかどうかはわからない。しかし貿易相手国に保護主義であると認識されることは日本にとって非常にマイナスである。仮に自由主義体制が崩壊した場合に最も被害を受けるのは貿易依存国である日本なのだ。世界が地域経済化していく趨勢の中で、日本もその波に飲まれていくだろう。

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§4 グローバリズムと反グローバリズム

■ いま反グローバリズムの動きが世界で盛り上がりつつある。グローバル化がもたらす分配の不平等や経済格差の拡大、環境汚染に労働問題を批判し各地でデモが起こっているのである。批判活動の場はWTOの会議をはじめ首脳サミット、経済サミットなどにも及んでいる。

■ このような動きが出てきた直接の原因は失業者の増大であろう。無秩序に拡大するグローバル化が労働市場を国際的な競争に晒し、世界的な雇用不安を引き起こしているのである。加えて紛争やテロ、環境問題の悪化といった社会不安がその批判活動を助長している。反グローバリズムの動きは急激に発展していったグローバリズムにその陰りが見えてきた、という象徴なのかもしれない。

■ 一方、反グローバリズムの動きが急速に広まった要因は、メディアやインターネットといった「情報」の影響であるという。アメリカ同時多発テロのショッキングな映像がリアルタイムで世界中に流されたことは記憶に新しい。「情報」というグローバル化に最も貢献したものが、逆に反グローバリズムの潮流を生み出し、支えているという現象は大変興味深い。

■ いずれにせよグローバリズムを止めることは不可能である。それはより豊かな生活を追い求めることがグローバル化の推進力となっているためである。人間の欲望は果てしなく、ホモ=エコノミクスと化した現代人がその志向を転換させることは容易ではない。さらにグローバル化は「グローバル市民」を形成する情報の公開性・共有性の達成という点からも歓迎されている。グローバル化は政治・経済両面から求められているのだ。

■ それでも反グローバリズムや地球の有限性を考慮すれば、現状のままグローバル化が進展していくことも無理がありそうだ。急激なグローバル化はこれまで市場の効率性のみを追求してきた。そのため諸問題に対する制度的枠組みは未だ確立されていない。それが様々なマイナスの要素を生み出す原因となっているのである。今後国際貿易がますます活発になる中で、早急なルール整備が要求されることは間違いないだろう。

参考文献 :「グローバル経済の本質」」(2003年 ダイヤモンド社) 著 伊藤元重
:「アジア経済読本」(2003年 東洋経済新報社) 著 渡辺利夫
:「世界システムの「ゆらぎ」の構造」(1998年 早稲田大学出版部)
 著 田村正勝 臼井陽一郎
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