§1 マクドナルド化の始まり
■ 1937年にアメリカで初めて生まれたマクドナルドは、現在世界中に広がり、多くの人々に利用されている。その影響力は「ファーストフード」という枠を越え、そのシステムそのものまで世界に及んだのだ。「マクドナルド化」という言葉はマクドナルドの生産から消費までのシステムが元になっている。マクドナルド化が意識され始めたのは1940年代からであった。当時、フランスではコカコーラの販売をめぐって大騒動が起こっていた。
■ フランス共産主義者はフランスの「コカコーラによる植民地化」と呼ばれた事態に強い関心を抱くようになっていた。フランスで販売されるようになったのはアメリカ文化と密接に結びついた製品であった。それはアメリカ人のソフトドリンク好きを輸入することであり、一部のフランス人の目には、フランス文化の神髄とも言うべき生活様式への脅威へと映った。しかし、それにもかかわらずコカコーラは1949年フランスに上陸した。
■ そして、マクドナルド化の始まりとしてユーロディズニーもその一つではないかと言われている。コカコーラと同じようにアメリカから輸入されたディズニーは、ファーストフードと同様にアメリカから輸入され、フランス文化を墜落させるものだと思われた。しかし、フランス文化はユーロディズニーが繁栄していく一方で、存続し、持続していったのである。そして現在、問題となっているマクドナルド化はコカコーラやディズニーをもはるかに超えた威力を備えている。その違いは、マクドナルド化はヨーロッパのビジネスと文化の実践の双方に脅威を与えている点であろう。
§2 マクドナルド化とフォーディズム
■ 20世紀の初頭に、ヘンリー・フォードによって生み出された生産体系に「フォーディズム」というものがある。フォードが生み出した『大量生産』は20世紀の工業をまさしく象徴するようなものへとなっていった。ベルトコンベアーを用いた流れ作業による時間短縮・能率向上は、世界中の工業に応用されていった。後に、その『大量生産』体系を『フォーティズム』と人々は呼ぶようになったのである。この大量生産システムは現在もアメリカで用いられている。当然この生産システムは、現在の「マクドナルド化」の元になっており、「マクドナルド化」と「フォーディズム」の共有点も以下のように沢山ある。
■ 一つ目は均質(まったく同じ種類・性質)な製品を作るという点である。つまり、大量に生産する時に出来上がる製品が全て均質なものになっているということである。二つ目は精密な技術体系、三つめは標準化された(あらかじめ決められた)作業手順。どちらも、ベルトコンベア−や機械によって、精密で決められた作業の繰り返しである。四つ目は脱熟練化、五つ目は労働者(及び客)の均質化、六つ目は大衆労働者である。標準化された作業手順によって脱熟練化になり、労働者の均質化や大衆労働が可能となったのである。最後が消費の均質化である。これもフォーディズムのように、大量生産された製品を販売するための市場が成長することで、消費の方も均質化していったのだ。
§3 マクドナルド化の条件
■ またマクドナルド化は、簡単に言うならば、人間の技能を機械(人間に寄らない技術体系)に置き換えることで、いかに合理化するかというものである。合理化するためには、以下の四つの条件が必要になってくる。第一に計算可能性である。これはつまり、数量化可能な事象を強調すること、質より量を強調することである。この計算可能性は数量の強調のみならず、質への関心の相対的な欠落を伴っている。ファーストフードレストランにおいては、大きな一人前(ビックマック)と低価格(バリューセット)への関心、及びこれに対応する味覚への無関心にはっきりと表れている。
■ 第二に予測可能性についてである。食べ物や物理的構造、そしてサービスがいつでもどこでも同じであるという事実によって、次に行うべきことや起こることがあらかじめ消費者にも予測ができる状況のことである。またクレジットカードにおいては、資金不足によって消費活動を制限しなければならないという状況が改善されたことによって、商品やサービスの提供者の世界を一層予測可能なものにさせるのに役立っている。
■ 第三は効率性である。これもファーストフードに限ったことでもないが、時間短縮や消費者の満足度を考え、いかにそのシステムを効率的に行うかというものである。これはファーストフード業界のドライブスルーのシステムやクレジットカードにおいて言える。ドライブスルーの窓口は自分の自動車を駐車させ、カウンターまで歩き、注文し、また戻ってくるという手間を見事に解消した。またクレジットカードは大きく扱いにくい現金を持ち運ばなくても、薄っぺらい一枚のプラスチックのカードだけで解決してしまうのである。
■ 最後に制御である。これは最初の前提である、人間の技能を置き換えた機械によってその生産システムに無意識のうちに従属させるというものである。つまり人が考える必要と能力を生産システムによって制御するのである。クレジットカードの普及は脱人間化を促進することとなったし、機械化に伴いファーストフードレストランでは、従業員を管理し、職務を単純化し、最終的には人々を機械に置き換えていった。
§4 合理性の持つ非合理性
■ 以上の四つの原則がマクドナルド化の主な条件である。マクドナルド化は始めにも述べた通り、合理化のために行われている。しかし、合理性を追求するが故に非合理性をも生み出しているのである。一つの水準における合理性の非合理性は、計画の段階においては非合理性であるものが実施面では計画通りにいかないことを示している。例えば、効率的なはずのドライブスルーの窓口も、待っている間に車が数珠繋ぎになってしまうという点である。
■ もう一つ別の水準で現れるものとしては、脱人間化された状況のことである。機械化が進むにつれて人間の思考を制御し、考える必要をなくす点である。例えば、ファーストフードレストランでよく見かける光景としては、従業員たちの仕事振りである。フライドポテトにしても、飲み物にしても、ハンバーガーにしてもそれらを作る手順や作られるものは毎回同じである。機械化されることによって、従業員(特に地位の低い従業員)が何も考えなくても自動的に商品が作られていく。こうすることで従業員たちは何も考える必要がなくなる。これはマンハイムの言葉を借りるならば「思考能力の喪失」であり、言い方を変えるならば、機能的合理性の浸透によって実質的合理性が低落してしまうということである。そしてそれは国民的アイデンティティと個性の喪失という世界を生じてしまうことになる。
■ 従業員たちはマクドナルド化システムによって自己合理化や自己点検といった概念を失ってしまう。効率や利潤の最大化といった事柄を強調するマクドナルド化システムは、愛情あるいは共同体などの人間的価値のための余地を残さないのである。マクドナルド化システムでは大多数の労働者が、何をするかについて他人から指示されることについて慣れ、状況を自ら解釈する能力を失い始める。合理化されたシステムが仮に瓦解するとしてもこうした人々は社会的には非常に無力になってしまうのだ。
§5 マクドナルド化の現状
■ マクドナルド化とは合理化を目的とした一つのシステムではあるが、その中には非合理性も存在する。そして、マクドナルド化は上記の条件を満たす社会的な様々なこと(クレジットカードやショッピングモールなど)にも適用することができ、その意味の範囲は単にファーストフードに留まらない。マクドナルド化は、全地球上の地理的領域や社会生活の様々な領域にその触手を伸ばし続けてきたのだ。
■ そこで考えなければいけないことは、マクドナルド化は今も成長し続けているのかということである。この答えのヒントとして、ファーストフードレストランと従来のレストラン売上の推移から読み取ることができる。確かにマクドナルド化が進み、以前よりもファーストフードレストランの店舗数も売上も増えている。
■ しかし、従来のレストランも依然として変わらぬ売上を保ってきた。マクドナルド化が急速に進んだ60年代以降から80年代にかけて、効率性・計算可能性・予測可能性・制御の四つの条件を満たしたファーストフードレストランは90年代以降も変わらぬ勢いで成長しているわけではない。92年から97年にかけてその成長は驚くほど減っている。低価格で大量生産システムのファーストフードはその勢いを失い、低迷している。ファーストフード店のマクドナルドから生まれたマクドナルド化は、現在進行的な現象なのかどうか、深く考える必要があるように感じずにはいられない。
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