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| NTS教育研究所スタッフによる【学び】をキーワードにしたコラム |
| 学校の色彩・「自由」の周辺で ― 麻布中学校・高等学校 (5) ― |
| ◆ 麻布といえば自由といわれるほどに、麻布と自由であるというイメージは定着している。しかし、自由といわれる麻布で自由が校是として掲げられたことはこれまでなく、現在もない。自由という言葉がどのように理解されているのかは、ましてや明らかではない。校則がないから自由なのか、自由だから校則がないのか、このような考え方はいずれも正しくないように思われる。しかし、彼等自身が意識する彼らの色もまた自由であるとすれば、麻布の自由とは一体何なのであろうか。 ◆ 現在の麻布学園が掲げている理念は、「自由闊達な校風」のもとで「自主・自立の精神」を大切にし、「江原素六の精神に深く学びつつ、生徒一人一人が、豊かな友人関係を築き、幅広い教養を身につけていく」(2007年度学園案内)学校でありつづけたいということである。ここで特徴的なのは、生徒をどのように育てていきたいという生徒の上に掲げられる目標ではなく、生徒一人ひとりがそれぞれのあり方を追求できる場としてありつづけたいという学校そのもののあり方が理念となっていることである。つまり、生徒の未来を特定の価値観によって一つのあり方へと導くのではなく、彼らの未来をひらかれたままの不定の多様さへと育む基盤であることを目標としているということである。もし「自由」が、自らの意思を妨げるものがなんら存在しないということならば、彼らの未来を妨げずに、彼らが伸びようとするままにしておくことに、麻布の「自由」が存在しているともいえるだろう。 ◆ しかし、伸びようとするままにしておくといっても、生徒を放っておけば生徒一人ひとりが個人として勝手に伸びていくというのではない。豊かな土地から太く実りある木が育つように、麻布学園は常に豊かに耕されていなければならない。深く新鮮で、大きく伸びようとする種々の木々を支えるに足るものでなければならない。そしてそこに育とうとする種子達もまた、それぞれが深く根を張り、高みを目指して伸びようとするものでなければならない。ここに麻布学園の「自主自立」が存在しているように思われる。しかしまた、伸びようとする木々は他を妨げるようなものであってはならず―無論伸びようとする木々は自らの場所を求めて時にはぶつかり合い、枝々に埋もれないように光の方へと競り合って伸びていくのだが―「蓬(よもぎ)にすさぶ人の心を 矯めん麻の葉かざしにさして」と校歌に詠われているように、かえってまた他の木々を豊かにはぐくみつつ伸びるものでなければならない。「蓬生麻中、不扶而直(蓬麻中に生ずれば、扶けずして直し)」、育ちゆこうとする木々にとって、与えられた規則や目標は、自分を押さえつけ刈り込もうとする妨げでしかないだろう。 ◆ 江原素六の自己形成にむけた厳しさと寛やかさはここになお生きているように思われる。麻布学園に校則や校是のような伸びる方へと支える支柱はない、独りで立つべき厳しさがある。しかし、豊かな大地のように育み、倒れそうになった時に支える寛やかな教員がいる、保護者がいる。麻布学園において、教員や保護者は前面には出てこない。しかし、彼らは生徒一人ひとりがのびのびと過ごせる環境を整え、生徒が負いきれない責任を背負い、辛抱強く見守り続け、諭すことなく促すような存在である―これに較べて、叱ったり教えたりすることがどれほど簡単なことだろうか―。教師として大人として、親としてPTAとして、彼らは子供を支え、また彼ら自身、主体的に、積極的に、麻布学園という場を楽しんでいるように思われる。教員は当然のこと、PTAが学園において担っている役割は大きなものがある。生徒たちの学業や生活にかかわることのほかに、PTA主催の「ファミリーコンサート」や著名人を招いての講演会、また文化祭の展示は、麻布学園の歳時記に欠かせない出来事となっている。子どもを育てる「同志」だからなのだろうか、教員とPTAは概して仲がよい。 ◆ 麻布の「自由」は、少なくとも生徒におけるそれは、まさにこの教員と保護者の上に成り立っている。しかし、それゆえに麻布におけるそれは、教員と保護者の上に成立しているという点において、中学・高校生の限界を意味しているともいえるだろう。それでもなお、学園紛争を通して勝ち取ってきた「自由」を、彼らは自治活動や学園生活を通して、未来へ獲得しつづけようとする。そうであるからこそ、その限りにおいて、麻布学園からは「麻布論」や「自由とは何か」というような本質的な問いが、生徒からも、教員からも、保護者からも、消えることがない。 ◆ 彼らは、麻布という青少年の守られた豊穣な土壌から、社会・世界という自ら耕していかなければならない大地へと旅立ち、そして自らの内で自由を育みつづけていく。自由は厳しさと寛やかさとともにあり、厳しさと寛やかさにより自由である。自由とは、過去から未来へと獲得しつづける過程である。自由の不自由さを自覚し、自由の不安に耐えられるもののみに許された、世界の只中における自己実現と出会いの歓びである。ひらかれた未来へと、江原素六の持つ厳しさと寛やかさという二つの視線に照らされ、時に彼を振り返りつつ、麻布生の歩みゆく道はたえざる挑戦と邂逅とによって彩られている。
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古阪 馨
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2006年11月16日更新
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