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NTS教育研究所スタッフによる【学び】をキーワードにしたコラム

東京純心と江角ヤス


◆ 東京純心の大きな特徴は、「知の教育」と「こころの教育」を表裏一体化した全人教育システム。表裏一体化とか統合化とは、多くの学校で使われる言葉であるが、どう表裏一体化されているのか、統合化されているのかわからない場合が多い。

◆ 伝統として習慣化しているため、教育のシステム全体をつないでいるキーを自覚できない場合が多いのである。しかし、東京純心の場合は、それが明らかに表現されている。いや「存在」している。

◆ たとえば、1stStageである中1・中2の「知の教育」の基本目標はこうある。「基礎学力の充実を図りながら、創造的思考力の開発に努めます。」これは簡単に言えば、知識と思考力の2つのベクトルで、創造力という合力を生み出すということだろう。ただし、この創造力は、東京純心の場合は、一般とは違う重みがある。そしてこの重みが「こころの教育」につながる。 

◆ 「こころの教育」の基本目標は「本学園の創立者シスター江角ヤス先生と『建学の精神』を紹介します。同時に、学園の理想である"聖母マリア"についての理解を深めます。聖書に直接触れながら、神・他者・自分について学びます。」。

◆ これは少し難しい。この目標の意味をとらえないと、キーが見えてこない。なんといってもシスター江角ヤスに対する理解が大事だ。そしてシスターこそキーなのである。ただしそれを深く理解する手がかりは、少なすぎるので、今のところ分かる範囲で考えてみよう。

◆ シスターは東北大学で数学を学んでいる。生徒たちにフィボナッチの数列や黄金比を教え、マタイの福音につなげて、自然界のシステムと論理と信仰のつながりを教えているほどであるから、当時の東北大学の数学科は、数理哲学や物理的な論理もベースにあったはずである。シスターが学んでいたころは、すでに田辺元が東北大学から京都大学に移って京都学派の雄になっているころだが、その影響はまだあっただろう。

◆ そして1945年長崎純心で教鞭をとっているとき、あの長崎原爆の被害にあっている。つまりシスター自ら被爆者なのである。同僚や生徒たちが亡くなったのに、シスターは奇跡的に助かった。この奇跡の十字架の意味の深さについては、今となっては私などには想像もできないほど深すぎるものだろう。

◆ 田辺元の思想は、世界の水準に達していたというよりも、今でも世界の思想をリードしている広く深いグローバルな思想。その雰囲気の中でシスター江角ヤスの頭脳は静かに深く鍛えられた。一方で被爆者として人間の愚かさを自ら引き受け、それを救うべく教育とボランティアに仕え続けた。

◆ シスター江角ヤスこそキリストにならい、聖母マリアそのものだったである。東京純心の創設者は、知とこころを一体化させた理想の女性そのものだったということなのだ。東京純心の庭にあるルルドの聖母マリアの前に立って、宗教の時間が行われるときがあるそうだ。

◆ 生徒1人ひとりがそれぞれの悩みを抱いたり、世界の痛みのニュースを聞いたとき、聖母マリアならどうしただろう、どう考えただろう、どのような行いをしただろうと自問するという。しかし、それはシスター江角ならどう考え、どう感じ、どうしただろうというのと同じことなのだ。

◆ この自らに問いかけ行動するということこそ「知の教育」と「こころの教育」をつなげるキーである。そしてそれを自ら体現した創設者シスター江角ヤス自身の行いそのものであろう。

※ 参照「東京純心の教育力」→http://blogs.yahoo.co.jp/honmanotesc/20192586.html


本間 勇人
2006年9月29日更新

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