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私立中高一貫教育vs.国家戦略としての教育
◆ 6月14日、自民党の文部科学部会と文教制度調査会は、「国家戦略としての教育改革」をまとめたということだ。この提言は2002年11月14日のときにも中教審によって中間報告されていて、ニューエコノミー時代にはいった当初から考えられてきたことだ。

◆ 要は自律した人材つまり自己責任の能力のある人材をたくさん輩出すれば日本の経済成長は復活できるということ。このこと自体確かに間違いではないし、正しいように思えるのだが、何かが違うのである。

◆ そんなとき小田中直樹さんの「日本の個人主義」(ちくま新書2006年6月)に出会う。大塚久雄の自律論を素材に、戦前戦後の日本の自律論の紆余曲折を実にわかりやすく論じている。大塚久雄は、戦後の日本の教育において「自律」を啓蒙することを論じ続けたという。そうすることが経済的にも文化的にも豊かな国に日本はなると考えたからのようだ。

◆ 自律する人材とは、イギリスの中産階級の研究を通して、自営業程度の私的所有を有していることと社会的関心を持っている人間のことを、大塚久雄はイメージしていたらしい。ノーブレス・オーブリッジ的考え方で丸山真男に似ている考え方のようだ。当然、万国の労働者よ立ち上がれというグループからはこき下ろされ、ポストモダンの現代思想家グループからは、そもそも自律している人間なんかいないのである。監視システムの中で相対的に自律しているだけなのだと批判され、いったんはへこんだようだ。

◆ たしかに大塚久雄さん自身、他者啓蒙は、自由を強制するというJ.J.ルソーの言葉を思い起こすようなジレンマをきちんと自覚していたようだ。だから、自律という自由は、それを支えるべき背景ないし前提が必要である。その前提に従うことは強制ではなく自由なのであるから。

◆ あまりに愚直なまでにウェーバリアンではないか。自律たらしめるものはプロテスタント倫理(ウェーバーの翻訳を大塚久雄はしている。岩波文庫で今も出版されている)ということなのだろうか。ところが1989年ベルリンの壁は崩壊するは、冷戦は終焉してしまうはで、万国の労働者にとって自ら支える大きな国家がなくなったし、そもそも国家論が消滅し、ポストモダニストの皮肉を言う理論が消滅。残ったのは新自由主義的市場経済。

◆ イデオロギーは消え、大きな政府は無用になり、自律した経済人が闊歩するようになる。公教育も自分で学び自分で考える自律した人間作りの方向に大きく舵をとった。大塚久雄の考え方が復権したのである。

◆ しかし、それは大塚久雄が警鐘を鳴らす、自由を強制する他者啓蒙である。なぜなら公教育では宗教教育はできないからである。さて公教育は困った。このままでは国際競争力ランキングがまたまた下がるではないか。なんとか喜んで自律を学ぶ教育システムを作ることはできないか。そこで「国家戦略としての教育改革」。公教育における自律を強制しないで教える方法は、その自律たらしめる根拠を「愛国心」とすることである。

◆ こうして私立中高一貫教育と公教育は、自律した人材育成の構造はそっくりのものとなった。ただし、私立中高一貫教育の自律した人材の存在根拠は建学の精神・教育理念であり、宗教哲学的背景がある。そこが公教育と大きく違うことである。この違いが、今後どんな社会的事件を生んでいくのだろうか。いやすでに生まれている。結局あとから愛国心を設置しようが、しまいが存在根拠が無でも私は私であるという相対的に自律した生き方を経験してしまっている。それがどんなに痛々しい事件を生んでいることか、それは否めない。やはりそこは自由を強制する国家戦略しか道はないのだろうか。

◆ ところで大塚久雄の自律論の復権は結局どこに結びつくのか。言うまでもなく私立中高一貫教育に結合する。21世紀において私学教育がいかに重要かということを浮き彫りにするのである。大塚久雄自身、内村鑑三の影響のもと無教会派のプロテスタント信者になっているのだ。

本間 勇人
2006年6月16日更新

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