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第五章 スーダン・ダルフール紛争

by小松原 瞳

§0 はじめに

■スーダン共和国という国の名前は、誰しも耳にしたこと位はあるだろう。スーダンはアフリカにある大国の1つだが、日本にいながらアフリカ大陸で何が起こっているか把握するのは難しいかもしれない。日本におけるアフリカに関する報道は、情報量がかなり少なく、なかなか注目が集まることもないからである。

■しかし、今そのスーダンにおいて大規模な人権侵害が行われており、全世界がその行方に注目している。新聞によるスーダン報道を見てもわかるように、スーダンにおける問題は非常にややこしい。なぜなら、スーダンでは2つの別種の内戦を抱えているからである。1つはスーダンの南北内戦、もう1つはダルフール紛争である。南北内戦は終息に向かいつつあるが、ダルフール紛争は今後も時間がかかりそうである。

■そこで、今回はスーダンにおけるダルフール紛争をめぐる国際社会の動きについて詳しくみていきたい。


§1 スーダン共和国


■スーダンはアフリカ大陸の北東部に位置し、その国土面積はアフリカ最大であり、日本の面積(37万7000km2)の約7倍(250万6000km2)、人口は約4分の1(3000万人)である。国土の大部分は平原で、その中央をナイル川とその支流が南北に縦断している。首都は、ハルツーム。

■スーダンと言う国名は、もともとはアラビア語で「黒人の土地」を意味する。スーダン北部にはアラブ系スーダン人、西部にはダルフール王国を作っていたフール人、南部には黒人を中心とするさまざまな民族などが共存していて、大半はイスラム教徒だった。

■19世紀になり、スーダンはエジプト・イギリスに支配された。そこで、イギリスは「分割統治」システムをスーダンに取り入れた。これにより、民族的に大きく異なる南北スーダンを分断して、対立関係におき、宗主国イギリスに対する不満をそらすのが目的である。他の植民地同様、これが後の南北内戦につながってゆく。

■第二次世界大戦後、スーダンは他の植民地と同じように1956年イギリスから独立した。しかし、独立以前から北部と南部は内戦状態に突入していた。そんな中でできたスーダン政府は、北部による政権だったため南北間の争いは激化したが、1971年ついに協定が結ばれ、南部の自治権が一応認められて南北和平が成立した。

■やがて、経済問題を背景にまたもや南北亀裂が進み、1983年にSPLM/A(スーダン人民解放戦線・軍)が発足し第二次南北内戦が始まった。激しい内戦は、21世紀までの10数年間続いたが、2002年に停戦が実現、2004年にやっと和平協定が調印された。



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§2 ダルフール紛争


■2003年2月、ダルフール地方の武装勢力が、スーダン政府に対して武装闘争を開始した。武装勢力は、スーダン政府がダルフールの人々を差別し、土地や天然資源をめぐる民族間の紛争から市民を保護する義務を果たしていないと主張したが、これに対し、スーダン政府は、ジャンジャウィードと呼ばれる民兵組織を支援し、ダルフールの住民を攻撃した。

■紛争による暴力や飢餓と、ジャンジャウィードによる組織的で大規模な襲撃により、2005年までに、25万人以上が死亡したとされる。200万人以上が国内避難民となり、20万人が国境を接する隣国チャドで難民生活を送っているという。しかし、人道的危機による被害者が現時点においてどの程度の規模かという点について正確な情報はない。

■チャドへ逃れたスーダン難民によると、夜明けとともに攻撃がしかけられ、村は焼き討ちにあい、道路は寸断され、家畜は盗まれ、飲料水には毒が投げ込まれるという。こうしたライフラインに対する直接的な攻撃が行われているようである。人道援助団体や外国人の立ち入り禁止区域が設けられているため、ジャンジャウィードは目の届かないところで巧妙に虐殺を行っているとされる。

■2004年6月、アフリカ連合(AU)はダルフール派遣団(AMIS)を設置し、スーダン政府と武装勢力の間で交わされた停戦協定が守られているかどうか、監視を始めた。しかし、停戦協定はいずれの当事者からも無視されているという。

■さらに、ダルフールの暴力の火種は隣国チャドに拡大しつつある。2003年の時点で国際社会がジャンジャウィードに対する断固とした対策をとれなかったことが原因のひとつとされているが、ダルフールで住民を襲撃していたジャンジャウィードは、昨年9月ごろからチャド東部で難民やチャド東部住民を襲撃し、その攻撃を拡大している。2006年6月時点で約5万人のチャドの人びとが国内避難民となり、ダルフールから逃れてきた20万人以上のダルフール難民とともに、新たな襲撃や武装勢力による強制的な徴兵におびえながら過ごしている。

■現在、チャド東部への国際的な関心は低いままだが、このままでは同地域でも、さらなる虐殺が起こる可能性もあり、また急激な人口増加により資源が枯渇し、チャドの物価は8倍にも膨れ上がっている。国際社会は今、迅速な対応に迫られている。

 

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§3 国際社会の動き

■国際社会は紛争を止めるために動き出した。2005年3月29日、安保理決議1591により、スーダン政府に対する制裁措置(武器禁輸措置の拡大(スーダン政府含む)、渡航禁止、資産凍結)が導入された。2006年4月25日、安保理決議1591に係る制裁対象者を決定する決議1672が採択され、元スーダン国軍司令官を含む4名がダルフール和平阻害等に関与したとして制裁対象者に指定された。

■また、2005年3月31日、本件を国際刑事裁判所(ICC)へ付託する安保理決議1593を採択。ICC検察官は国連から提示された容疑者のリストに基づいて捜査を実施中である。

■しかしこうした取り組みは実を結んでおらず、現在、ダルフールの状況は2004年と同じくらいの危機レベルに達し、住民はこれまで以上の危機にさらされている。ついに2005年国連の平和維持軍の派遣が決まったが、虐殺の事実を否定するスーダン政府はその受け入れを拒否している。第2章で触れたが、PKOの原則のうちのひとつに「紛争当事国が受け入れに同意していること」というものがあり、スーダン政府が拒否する限り、PKOの介入は認められないことになる。

■また、多くの国がスーダンを非難するものの、国連がダルフール紛争を「世界最悪レベルの人道危機」とは言っても、「民族浄化」や「ジェノサイド」と定義しないこともあり、軍事行動を伴う介入までには至らない。

■世界保健機関(WHO)の発表によると、紛争が続くダルフール地方の劣悪な条件下のキャンプ生活で、下痢や肺炎などが発生し、特に5歳以下の子供がその犠牲となり命を落としているという。依然としてダルフール地方での虐殺が続く中で、難民の多くが食糧、毛布、シェルターから医療、公衆衛生、精神的なケアまで、あらゆる面での人道援助を必要としている。

■専門家の指摘にもあるように、正確な死者の数など、紛争の状況を正しく把握することが同地域で人道援助を行ううえで重要となるだろう。しかし、政府の抵抗、同地域で頻発する暴力、難民キャンプが遠いことなどから、調査が非常に困難になっている。

 

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§4 まとめ

■国際世論がイラクや北朝鮮などの問題に注目を集めている間にも、別の地域では時代錯誤な虐殺や民族浄化が現在進行形で行われている現実がある。ダルフール紛争は、スーダンの豊かな石油資源、穀倉地帯や水資源を巡っての民族対立など複雑な利害関係が密接にからんでおり、国連やアフリカ連合の介入すら許されないという極めて深刻な状況にある。

■しかし、罪のない犠牲者の数は日に日に増加しており、より迅速に具体的な対応が必要とされている。ダルフール地方に推定2万人の国連平和維持軍を配備することにスーダン政府が反対していることは、危機的状況を持続させるだけである。

■スーダン政府は国際世論の動向を常に気にしているため、今出来ることといえば世論の喚起、ということに集約してしまうのかもしれない。2006年9月17日には、30カ国で数千人の一般市民が、こうした異常事態にも関わらず外国の介入の受け入れを拒否するスーダン政府に対し抗議した。ダルフールの危機に対し、国際社会が動き、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、中国、ロシア、そしてアラブ諸国が一丸となった声を集結させたのだ。こうした国際世論の圧力が、スーダン政府の硬直した政策を緩和させるうえで大きな力となるに違いない。

■また、同時に国際社会は、その存在が脅かされている人々に対し、最大限の人道的援助を続けていく義務がある。もちろん、その人道的援助がスーダンの社会、個人、政治に影響を与えて、本質的解決を遠ざけるようなことがないよう、最善の援助戦略を熟考していかなければならない。「理想」と「現実」のバランスをうまくとり、慎重かつ大胆な対応を心がけていくことが重要であるだろう。

 

参考サイト  ○外務省HP(http://www.mofa.go.jp/mofaj/index.html
  ○国際協力NGOセンター(http://www.janic.org/
  ○国連難民高等弁務官事務所HP(http://www.unhcr.or.jp/index.html

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