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世界が蘇るための原点 |
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| 東京純心女子中学校2年生 田村 千恵
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もし、あなたの目が見えなくなってしまったらどうしますか。頼れるのは自分の「触覚・聴覚・嗅覚・味覚」と家族と友達の助け。周りの人の顔を見ることさえできない、世界のすべてが暗い闇に染まっている人の気持ちを理解できますか。
きっと、目の見える私たちには決してわかるはずのない苦しみがあるのです。私は、その苦しみを少しでも和らげるために、心の傷は治せなくてもせめて目が見えるようにしてあげたくて、世界を自分で見ることができる義眼を作ることができないかと思って、私なりの義眼を考案してみました。
正常な目には水晶体と虹彩があり、外の光を集めて焦点をあわせ、像をつくる役割をします。これらにはカメラのレンズとしぼりリング、ヘリコイドリングを代用します。この部分はめがねのように目の上にかけて、ピントなどは自分で合わせられるようにダイヤル式の手動にします。また、目に入ってきた光を映像にして脳におくる役割の視神経円板(乳頭)を、ビデオカメラでムービーを撮ったときメモリーカードに映像を送る回線で代用して、脳に情報を送ります。しかし、脳の視覚野が機能することができなくなってしまい、目が見えなくなった場合には、視覚野は脳の後頭部にあるので、後頭部の頭蓋骨に穴を開けて視覚野を取り出し、代わりにたくさんのメモリーカードを入れます。メモリーカードには、視神経円板の代用として通っている回線からデータを送り記憶として残します。水晶体と視神経円板との間には光が直進して網膜に届くための透明な液体が入っていますが、めがねでは水晶体の代わりのレンズは外に設置されているので、像は実際には水晶体がある場所で作られ、そこにできた空間には光の刺激を色にしたり映像にかえる機械をその空間に設置します。また、機械を動かすためにはたくさんの電力を消費するので、寝ている間にめがねとしてかけていた部分を携帯電話のように充電すれば電力が切れてしまうことはないでしょう。
こんな未熟な考えですが、実現すればすばらしいと思いませんか。目が見えなくても幸せな人はいるでしょう。しかし、見えなければ相手とのコミュニケ―ションもうまくできず、行動範囲も狭いのです。私は、目の見えない人にもすばらしい風景を見てほしい、感動を分かち合ってほしい、もっと幸せになってほしいと思います。
だから、いつか遠い未来でも実現することができることを私は願っています。
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