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2002年を振り返って
昨年はおかげさまでCALを立ち上げ、セミナーを1回実施する事ができました。今年は本間さんのご助力でセミナーも2回実施でき、CALもイベントと出版にこぎつける事ができました。また、その後も勉強会や『進学レーダー』の取材など進んでいます。
10月24日のCALの勉強会は京北学園の杉原先生の「プロジェクト学習の試み」で、アメリカミネソタ・ニューカントリースクールの学習プログラムの実践報告でした。プロジェクト立案(課題発見)と学習計画立案の手法が身につく学習プログラムになっており、杉原先生も問題解決方法や技術の一つとして位置づけていたと思います。
12月5日の勉強会は湘南白百合の高山先生による総合学習の経過報告でした。しかし、ホンマノートにあるように単なる総合学習ではなく、自分と関係付けた課題発見の学習プログラムになっていたと思います。
つまり共通する事の一つとしては、問題発見能力及び問題解決能力の育成にあるのだと思います。そこで思い出すのは、本間さんの書いた、10月16日の私学Bracketing『森村学園―自信に満ちた学校』にあった引用文「私たちを行動するよう教育し、私たち相互間を密接にし、無知によって生じた不運と、必要によって生じた不運とを区別し、前者を避け、後者をば愚痴をこぼすことなく耐え忍ぶことを教えた知的教養はアテナイから起った」なのです。この引用文は、イソクラテスですね。何に書いてあったか思い出せないのですが、違う翻訳で読んだ記憶があります。つまりイソクラテスのいうアテナイの教養とは、まさに日常的に眼前にある様々なものに対して問題解決しながら自己達成することなのです。
本学園の前学長の阿部謹也は「教養とは自分が社会のなかでどのような位置にあり、社会のために何ができるかを知っている状態、あるいはそれを知ろうと努力している状況を指し、根底にいかにして生きるかという問いがある。教養があるというのは、社会のなかで自分がどう生きているのか、どういう状況にあるのか、何ができるかということを意識する、自覚できることだと思います。教養は一人ひとりの生き方の問題なのに、知識だと思っている人が多くいます」と述べています。
阿部謹也は上原専祿のゼミで学んだわけですが、上原専祿が「わかるということは、それがわかった後で、自分が変わっていなければならない。自分が変わっていないわかり方というものは、ただ知識が増えただけで、知識なんていうものはほとんど大事なものではない。問題はその知識、あるいは何か知ったことによって自分が変わるということで、変わるということは、生き方が変わるということだ」述べたことがあることを阿部が紹介していたことを思い出します。
新しい授業を模索している中で、もう一回彼らの言う教養との関連で来年は考えてみたいと思います。また来年も今まで以上に多くの事を教えていただく年になりそうです。よろしくお願いします。
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