| 2002年05月05日 共立女子中渡辺先生からNTS本間へ |
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セミナーをおえて 本間勇人様 共立の渡辺です。 NTS教育研究所のHPにコラム「共立女子の校訓をとらえかえす」を載せていただいてから、1年半が経過しました。その際に、本間さんから宿題をいただきました。それは次のような内容でした。 「開放性、非線形性、自己組織化のパラドックスをどう解決するか、それが問題ですね。 今までは、このパラドックスを避けるために、単純系パラダイムできたのですよね。しかし、それでは、もうやっていけなくなった。このパラダイムからはみでるものがたくさんでてきてしまった。それが今の教育の混乱ですね。 それをどう正のベクトルに向け、かつ高次に押し上げていくか。私からお聞きしたい点は、非線形あるいは複雑系のパラドックスをどう解くかという点です。 これはハイデガーがナチに向かってしまったと同じような疑問です。長野県知事が、不毛な二項対立はやめようといったときの、県庁職員の反応。線形的な発想を転換しようとしたとき起こるようなクラッシュをどう解くか。いかがでしょうか。」 この宿題をいただいて、答えはあったのですが、具体的な複雑系パラダイムの授業内容について、方向付けを明確には提示できなかったので、そのままになっていました。 HPのコラムでは要素還元論を否定的に書きましたが、物事の構成要素を考えるのは重要ですから、要素還元論は完全に間違いであるとは思いません。しかし、近代合理主義は要素還元論を武器にして、組織やシステムを効率化、合理化、機能分化し、科学、技術、産業、経済を発達させてきました。そうした単純系パラダイムでは様々な問題が噴出し、その解決は容易ではなくなってきています。 大切なことは、要素と関係を新たな視点から問い直す必要があるのだと思います。いずれにしても,どのような相互行為を持つかという点にかかっていると思います。この辺りについては、また本間さんと話をしたいと思っています。 先日の4月25日のセミナーはお世話になりました。本当にありがとうございました。おかげで、複雑系パラダイムの授業例が提示できたかもしれません。 昨年10月のセミナーでは、チョーク・アンド・トークではない授業内容の紹介が主になっていたような気がしますが、今回のセミナーの柱は2本あったと思います。 内にいると自分達では気がつかないのですが、本間さんから共立女子の教育のエニグマは両義性だろうとの指摘を受け、そう言えば、そのような発想や意識はしてなくとも各教科に共通するところがあるのかも知れません。 両義性といえば、頭で考えた合理性とは異なる論理を身体が持っていることを分析したメルロ・ポンティですが、彼は日常空間と日常ならざる空間のある事を指摘しています。 セミナーでのリアルとヴァーチャル、アナログとデジタルもこれに対応していたわけで、国語、社会、美術、英語、礼法などの教科に、形式知または日常知をデジタル的に他のものに飛ばして学習する仕掛けがあったということなのでしょうね。これは複雑系パラダイムの「ゆらぎ」であり、創発につながります。 アナログからデジタルへ、それをまたアナログという世界にもどすことによって、形式化した日常知をさらに先に進めるというスパイラルな動きがあるということですね。 リアルとヴァーチャルも同じような作用を与えているわけですが、美術は交互のスイッチングにより、抽象概念をつかみやすくしているのでしょう。礼法の授業は生徒の作文や詩などを読むと、礼法室に入り敷居をまたぐ瞬間は、単なる礼儀作法を習うというより、名状しがたいヴァーチャル・スペースに入る感じがするといいます。 この辺りは、大宇宙や自然をシンプルな空間に凝縮した、本間さんの好きな茶室や石庭と同じなのでしょうね。そう考えると、17文字や31文字で時空、季節、趣きなどを表現する日本の文化は、昔からヴァーチャル・リアリティの本家だったのでしょうか。 非日常空間は、旅にもありますね。松山ではとても時間がゆったりと流れていました。本間さんは仕事で各地を訪れていますが、創造的な仕事の中には、こうしたエニグマがあったのですね。夕闇迫る愚陀佛庵の庭に座りながら眼をとじると、普段は余裕もなく追われている私ですが、時の流れを忘れ大自然に包まれているようで、とても気持ちがいいものでした。 セミナーの二本目の柱は、情報リテラシーの捉え方ですが、ただワープロや表計算が出来るようになることを言っているのではないわけですね。 現在、知識の概念は体系性を失いつつあり、検索型の知やデーターベース化した知、つまりはデジタル型の知に傾きつつあります。しかし、見たものや知ったものは、一つの知のモジュールではありますが、一義的なものではなく、それをどのように組み合わせて関係づけるかが大切です。デジタル社会になればなるほど、デジタルとデジタルを結んで、トレースしていくアナログ力が必要になってきます。本間さんは「デジタル・ディバイドの前にアナログ・ディバイドがある」とよくおっしゃっていましたね。 脳内プロセスでモジュール化して組み立てたものを表現することは、今までは困難であったのですが、ITはそれを可能にしたわけですね。アナログ→デジタル→アナログ→アナログのサイクル、リアル→ヴァーチャル→リアル→ヴァーチャルのサイクルはモジュール化によって行われていくのですが、美術の例で提示したように、通常は心や精神の働きと考えられている知覚,認知,理解,記憶,学習といった機能をITで実現することで、脳内プロセスのデジタル過程や、モジュール過程を生徒は自らモニターしながら、相対化思考に近づけていくわけです。これが、真の情報リテラシーですよね。 以前、共立のコンピュータ・リテラシーについて、慶應義塾大学院の教授で幼稚舎長の金子郁容先生に実践例をお話したところ、コンピュータは一番、美術に適していると、おっしゃっていました。 松山での話は、前から出てはいましたが、暗黙知を表出したことになるのでしょうか。しかし、これはデリダ風にいえば脱構築なのかも知れませんが、そうではなく最終的にITによって、脳内プロセスのモジュール化活動を外化することを可能にしたという結論が大きかったですね。換言すると、暗黙知の表出を私と本間さんは単に外化という用語を使いましたが、人の魂、精神、心が具体的な形になることをヘーゲルは「外化」と呼び、人間はそれによって自己を認識することが出来ることになります。 宿題はヘーゲルに始まりましたが、精神や思想の認識は、外化=具体化することにより実践され、仕事や活動の成果を通して人は自己認識を行い、そして得られた自己認識は次の行動につながるという、認識と実践とのスパイラル・ムーヴメントによって、人は絶えず変化するというセミナーの結論は、結局ヘーゲルで終るようです。 これからも宜しく御願いします。 |
