2002年01月18日
NTS木村から共立女子中渡辺先生へ
渡辺先生

 NTS教育研究所の木村でございます。
ご報告遅れてしまいまして申し訳ございません。
先日先生よりご紹介いただきました都美術館での東京私立生徒写真・美術展に月曜日にお邪魔させていただきました。

 大変失礼な物言いになってしまうことを承知で申しますと、
正直なところ「なめていた」というのが私が生徒の作品をみて一番に抱いた感想です。
会場の入り口を通りそのまま左の壁沿いに何気なく歩きはじめ、壁にずらっと並んだ写真郡に目をやったとき、そのパワーに私は圧倒されました。まさにノックアウトでした。

 例えば小さな子供の屈託のない笑顔や老人のしわの一本一本に肉薄した写真。都市が偶然に作り出す不思議な形を発見した写真。比較的一般的なモチーフながらも、こんな視点があったのかと思わず一点一点見入ってしまいました。プロにありがちな型にはまったテクニックのにおいがしないぶん、その写真を撮る子供たちのモチーフに対する興味や愛情、そしてその心の動きを表現したいという叫びが生に表れていました。同じ鴎の写真をとっても、ぶれやぼかしを生かした静的で叙情的な写真と、鴎の盛り上がる胸筋をアップにして生の叫びをびりびりと感じる写真など、見かけ上の表現に対する情熱の叫びの大きさは違っても、どの写真を見ても若い、苦い葛藤すらも内包したパワーがありました。

 様々な私学の作品が展示されていた中で感じたことは、「共立女子の生徒には色々な人間がいる」ということでした。作品と学校名や学年などを見比べていく中で、ファンタスティックな世界を繰り広げる作品の多い学校、写実的な手法が多く見受けられる学校、女子美などの美術のテクニカルクオリティが全般的に高い学校、などある程度の学校のカラーがあることに気が付きました。しかし、その中で共立女子に関しましては、よい意味で「ばらばらの魅力」という印象を受けました。つまり、多様性がともに影響しあって生きている学校。いろいろな学校のパンフレットなどで見受けるこの言葉ですが、言葉になると途端にひらぺったくなることを、あの作品展で体感することが出来ました。

 確かに学校の規模が大きい分様々な人間が存在する確率も増えることでしょう。しかしそれだけではない、あのCALでの美術の授業を思い出しても「ああやっぱりああいう授業をしているからだ」感じるような、隠された共立の教育の仕掛けの存在を確信をしました。

 あのCALで実際に体験させていただいた美術の授業も、一般的に捉えられている美術という狭い枠組みを乗り越え、自分を肯定し、どう人と生きてゆくか、どう感じどう考え、つまりどう生きるかということを考えるきっかけを与えてくれるようなものだったというのが私なりの認識です。自分を肯定することで、他人を肯定し、それによって得られる様々な視点。普通に生活をしていく中ではそれに気付くことはほとんどないことと思います。

 「これが正解」というテクニックを授けられるのではなく、一緒に授業という一期一会の場に立ち会ったときに起こる先生と生徒、生徒と生徒、自分とのケミストリーな出会いの場。「同調」することによるつながりではなく「人間」「空間」「時間」の「間」の共有によるつながり。そんな美しい気付きの火花の散る瞬間瞬間があちらこちらで勃発しているのが共立の授業なのでしょうか。今まで出会わせていただいた、「個性あふれる」という平板な言葉を軽く超越するような、超ど個性の素晴らしきクレイジーな共立の先生方をお一人ずつ思い出すたび、「なるほど、こんな先生達がいっぱいいたらあえて個性を育てる教育なんて声高に唱える必要なんてないだろうな」とつくづく実感するわけでございます。

 そんなことをつらつらと考えさせられた展覧会でした。今まで無理に「共立らしさ」とは何ぞや何ぞや、と探してきたことが、ここでふっと自然につながった気がします。
先生、ご紹介いただいて本当にありがとうございました!

 ずいぶん長くなってしまいました。きっと先生は今一番お忙しい頃と思いますが、これからいよいよ極寒の時期が到来でもありますし、お体に気を付けて毎日をよりクレイジーにすごしてくださいませ☆
それでは!





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