2001年12月24日
参加者 村上から 共立女子中 中城先生へ

「あいだ」について

     

 CALに参加してもう1ヶ月がたとうとしています。実はあの日「間合いをとることが美術である」という言葉が妙に耳に残りました。また最近、絵國香織の小説「冷静と情熱のあいだ」の映画化でCM等で頻繁にそのタイトルを耳にすることもあって、ここ一ヶ月「間(あいだ)」について考えていました。

 間合いをとることが美術であるとはどういうことなのでしょうか。

 コーヒーを飲みながら、考えました。

 カップのなかのコーヒーにミルクを落とし、それを眺めていると、それはある一定のパターンにしたがって、だんだん別様のかたちをとることがわかります。地と図が侵食しあい、やがて両者の区別は曖昧なものとなります。また、このように外部的に観察できるような事態とは別に、温度の変化、コーヒーとミルクの流動、お互いの分子の結合などが絶えず進行しています。ある瞬間とその直後における瞬間では、カップのなかの状況がまるで異なっているということになります。

 それらはプロセスのなかにあり、動き続けることによって、自己のシステムを組織化するのです。

 完成させた美術作品というのは、間と間とのさらに間となるものであり、重要なのは完成させる段階とその後の視点の変化なのです。

 過程と段階という言葉はイコールではありません。あくまでもプロセスは自由なのです。何についてもステップは存在します。しかし自己のつくりあげたプロセスでなければ、ステップを踏むという意味になり得ないのです。過程の間合いにおいて気づきの瞬間の喜びを表現すること、そして次なる段階に進んでいく、きっかけをみつけていくこと、そういったすべてを自分自身で自由につくり出すことが美術の面白さです。

 一般的に、表面的にポジティブな表現でなければ喜びという表現に相応しくないといったイメージを持たれがちですが、ネガティブにみえる表現も喜びであることにかわりないのですね。「不安定を肯定することとは?」という質問に対しての解答は、私自身の表現への不安を肯定してくださったようにも思います。

 悩み苦しむことの面白さを知ることで、表現はさらに面白くなるのです!

 先日CALのHP上で中城先生によって書かれた第3回勉強会「想定自画像」についてのコメントを拝見し、+と−で個性を表現されているところにヒントをいただきました。

 またセミナー後、個性豊かな先生方とお酒を楽しませていただきましたが+の個性というものは自身への愛情がつくりだしていくもののように思います。自己を愛せるということは、自己との間合いを保つことができるということです。美術でいう間合いをとる、ということは、自己との間に愛ある視点を持つ、ということなのでしょうか。

 間は愛を生み、愛は間を生む。愛と間はコーヒーとミルクのようにくるくるとらせんを描きながら、動きつづけるものかも。


12月24日 コーヒーにミルクを落としながら

村上洋子


村上洋子プロフィール
1977年、岡山県生まれ、射手座のO型。
岡山県立総社南高校美術工芸コース卒、武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒。2000年、スイミーとして活動開始、ことば+αのコミュニケーションの表現を研究中。
現在、音楽雑誌「Indies Magagine」(リットーミュージック)でポエム&イラストを連載中。97年よりウェブ「Cookie Cream Mates」を制作、運営。1月よりメールマガジン「Dots & Donuts」を配信予定。





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