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第12回『途上国理解を基調とする国際理解教育を目指して』


宝仙学園刊行誌『あゆみ』 記載記事

途上国理解を基調とする国際理解教育を目指して
教頭 富士 晴英

はじめに
私は、昨年度の『あゆみ』に、「国際理解教育の実践―多様性を理解し、共生を考える」という一文を書いた。それから一年、私の「国際理解教育の実践」は試行錯誤を続けている。たまたま今年の9月28日、CALという私立中学高校の教師たちによる勉強会で、この試行錯誤の様子を発表する機会を得た。そこで、今年度の『あゆみ』では、勉強会での発表内容を紹介する形で、私のこの一年間を報告させていただきたいと思う。

CALでの発表
発表の機会を与えてくれた勉強会CALとは、Center for the Advanced Learning(最先端学習センター)の意味らしい。3年目を迎えたこの勉強会では、刺激的な授業実践が紹介され、その様子はホームページでも見ることができ(http://eri.netty.ne.jp/cal/index.htm)、事例集も出版されている(『私学の挑戦―The 授業』Vol1・2、銀の鈴社)。
私が発表で立てたテーマは、「途上国理解を基調とする国際理解教育をめざして」である。もっとも、私がこのテーマの大切さを知り教育実践を始めたのは、昨夏のガーナ研修訪問以来のこと。国際理解教育については、初心者かせいぜい初級者だし、とても「最先端学習」どころではないことは、さすがに自分でも弁えている。また、このテーマを授業の中で継続的に扱う状況にはないため、授業外で企画を立て、他の教師や生徒の協力を得て実施してきた場合が多かった。しかし、勉強会で発表するチャンスは、そう簡単には得られない。それに、中級や上級になるまで待ってくれなどといっても、いつになるかわからない。自分から恥をかきにいこうと決め、発表となった。
当日の発表時間は、1時間から1時間半程度とのことで、参加者は会員の私立中学高校教師。教科はさまざま。午後6時開始ということもあるし、私の一方的な「講義」は、誰も望まないだろう。参加型形式で、予備知識がなくてもある程度楽しんでもらえるような内容がベターだと考えられる。そのように考えて、構成は以下のようにした。(1)と(3)では、参加者にも授業と同じアクティビィティをして頂いた。

 (1)4枚の世界地図と6枚のフォトランゲージの読み解き 
 (2)授業の反省と課題を語る
 (3)『世界がもし100人の村だったら』の輪読と読み解き
 (4)インドネシアの高校との交流の紹介
 (5)ガーナ勉強会の紹介

勉強会で発表した、授業内容は以下の通りである。

 

(1) 4枚の世界地図と6枚のフォトランゲージの読み解き

これは、地図と写真の読み解きを中心とした参加型授業である。昨年度9月から1月まで、月に1回、中学2年生の総合学習の時間を使い全部で6回行った。地図はそれぞれ、中心が日本・ヨーロッパ・オーストラリア・北極のもの。それらを見た生徒たちからは、「どこの国も自国を中心に置く地図を作るのだから自己中心的」などの感想があがった。写真は、JICAから提供されたフォトランゲージキット。ペルー、クック諸島(ニュージーランド領)、フィリピン、トルコ、マリ、バングラデシュの生活。その場で4名ずつのグループを作り、提示された国名と写真とをマッチングするゲーム。私は、アフリカについてはどうしても一言付け加えたくなる。マリの写真は、成人女性の識字運動の場面。シリアスな写真だ。就学率が低いアフリカの中でも、マリを含む西アフリカは、ワースト10国のうち7国がランクイン。その事実を考えれば、この写真は、希望をともす写真でもある。

 

(2) 授業の反省と課題

昨年度の中2は、(1)のアクティビティをした後、「海外旅行の企画者になる!」という企画に取り組んだ。できるだけ開発途上国を選んでホームステイする。現地語で挨拶し、よく考えたお土産を持参する。そう呼びかけた。しかし、生徒たちが選択したのは、トルコ、フィジー、ニュージーランド、メキシコ、ブラジル、ブルガリア、フランスという国々だった。
成果もあった。フィジーを調べたら、サトウキビのプランテーション労働者がインド系だということを「発見」した生徒がいる。イギリスが労働力として移住させた歴史に触れたのである。ニュージーランドの国歌を調べたら、2番がマオリ語だと「発見」した生徒がいる。先住民を尊重する意志の表現に気がついたのである。
しかし、アフリカや南アジアなどの地域を選んだ生徒はいなかった。私は、中1でこの生徒たちの地理を担当していた。振り返れば、地理教科書が扱っている外国は、アメリカ、フランス、マレーシアの3国だけ。独自のカリキュラムを組まなければ、生徒たちが開発途上国を知る機会は作れないのである。生徒に十分な情報を与えることなく、開発途上国に対する理解を求めるという私の認識こそ、不十分だった。
では、経済先進国日本の首都東京の私立学校に通う我が生徒たちには、どのような情報提供が必要だろうか。担当した総合学習の時間を全て終えてしまった後、その課題に取り組む機会を作ることができた。1月27日に付属の宝仙学園小学校5年生に出張授業することになったのである。

 

(3) 『世界がもし100人の村だったら』の輪読と読み解き

宝仙小学校で、割り当てられた時間は40分。教材は『世界がもし100人の村だったら』に決めた。世界63億人の人口を100人の村に見立てて、経済先進国と開発途上国の現実を小学生にもわかりやすく描いているメッセージで、日本でベストセラーになった本である。まずは、全員による輪読からスタートした。最も印象に残った部分が共通の児童ごとにグループになり、どうしてその部分を選んだのかをディスカッション。時間の節約のため、授業に先立って選んでもらっておいた。以下は、どうしてその部分を選んだのかという問いへの答えの一部である。

【1】 選んだ部分 「いろいろな人がいるこの村では、あなたとは違う人を理解すること、相手をあるがままに受け入れること、そしてなにより、そういうことを知ることが、とても大切です。」 
  選んだ理由 「日本は、高度成長時代から今まで、経済的な豊かさを手に入れてきたが、それと同時に、だんだん他人の心の中を理解せず、一方的に自分本位の感情で行動するようになってしまった。今年に入ってから、イラクへの自衛隊派遣をめぐって、まだまだゆれている。このような状態の日本に住んでいるからこそ、ここでしっかりと地球上の多くの人々の平和を考えたらよいのではと思った。」
【2】 選んだ部分 「すべての富のうち、6人が59%をもっていて、みんなアメリカ合衆国の人です。74人が39%を、20人が、たったの2%を分け合っています。すべてのエネルギーのうち、20人が80%を使い、80人が20%を分け合っています。」 
  選んだ理由 「特に『20人が〜分け合っています』という部分から、コレはありえてはいけないと思い、また、自分も20人の中に入っているような気がしてとてもいやで、とても情けなく、くやしい思いでいっぱい。」

私は、【2】に出会った時、ナイーブだけれど素敵な感性だなと感じた。新しい世界を創る先進国人がここにいる、とさえ感じた。そこで、「では私たちは、途上国の人たちにどんなことができるだろうか」と問いかけ、またディスカッションに移った。すぐ出る意見は、募金。無理もないが、具体策がなかなか出てこない。そこで、ユニセフの資料や難民キャンプの写真などを見せ、話し合いを促す。そして出てきた意見は、「募金をするよりも働く場所を作ってあげる」、「井戸を作る」、「学校が必要」など。児童も、「疑問が出たり、回答が出たりして、頭のパズルをやっているようで楽しい」、「今日の授業で、私は、大事なことに気がついた。一つのテーマについて皆で考えるといろいろな案が出てきて、それも一人一人色々な考えをしているということを大発見。」など良い経験になった様子だった。

 

(4) インドネシアの高校との交流の紹介

3月9日、JICAと提携して、インドネシアのジャカルタにあるSMU02 Negeri Depok高校とテレビ会議が実現した。画面となる場所は本校側が宝仙寺の本堂、インドネシア側がジャカルタのJICA事務所。本校から参加した生徒は中学3年生から高校U年生の有志10名で、協力して下さった先生方の提案を受け、「文化の対話」プロジェクトと名づけた。
この企画に魅力を感じたのは、インドネシア人も日本人と同様、英語を母語としない国民であり、ノンネイティブ同士の英語によるコミュニケーションという設定になるからである。私は、ガーナを訪れて以来、英語を母語としない民族、国民同士の英語によるコミュニケーションの可能性ということを考えるようになった。中2への授業の中でも、世界の200弱とされる国のうち、約3分の1が英語を共通語としていること、しかもそのうち、英語は母語としていない民族、国民の割合が大きい言語であることを、世界の白地図にハイライトする作業などを通して確認した。こうした事実は、英語を話せれば、統計上は、世界の3分の1の国の人とコミュニケーションできるということを意味するし、いまやネイティブもノンネイティブも、国境を越えて英語で話し合い、地球的規模の問題を考える時代だということを意味する。このように認識していたので、絶好の機会を頂いたと思ったのである。
本番のための準備は、昨年末から始めた。12月22日、渋谷区の東京ジャーミーというモスクを訪問した。インドネシアは、世界最大のムスリム人口を持つ国である。ムスリムといえば、原理主義や過激派などというイメージがマスコミから急速に流されている中で、敬虔なムスリムが集う様子を生徒自身が見てほしいと考えたからである。2月7日には、知人の紹介でインドネシア人のSupriadiさんに来校していただいた。彼の職場は、東京の食堂。日本人と結婚し、子供が2人。夫婦で来校していただき、仲睦まじい様子である。一緒に昼食を食べるとき、彼はハム入りのサンドイッチを除いた。ムスリムは豚肉を食べない。その姿も、生徒たちは間近に見た。こうした経験を積む中で、生徒たちは先入観なく、「文化の対話」プロジェクトに臨めたと思っている。
テレビ会議の様子は、本校のホームページの「宝仙の風景」にも掲載したので、参照されたい。生徒たちは、インドネシアの高校生の英語力に感嘆していた。私も英語で会話しなければいけない時には常にそう思うが、英会話力をもっと身に付けたいと実感したのである。テレビ会議では、互いが自国の文化の紹介を行った。会場を宝仙寺にしたこともその一つであった。日本側は、食生活・年中行事・和服・学校生活など。生徒たちなりに懸命だった。「文化の対話」プロジェクトVol.2を実現する機会が到来したら、念願している、国境を越えて英語で話し合い、地球的規模の問題を考えるという課題に挑みたい。発表の日は、JICAが撮影したビデオの一部も見ていただいた。なお、この企画は、JICA、SMU02 Negeri Depok高校、本校のたくさんの教員の協力がなければ実施できなかった。改めて御礼申し上げたい。

 

(5) ガーナ勉強会の紹介

ガーナ滞在中にお世話になったJICAガーナ事務所の小淵伸司次長が、7月13日、一時帰国の折に来校された。ガーナの教科書(小中学校の社会科)を持参してくださったのである。滞在中に、私が教科書を買いたいと言ってかなわなかったことを覚えていたとのこと。驚き感謝したが、読んでみてこれは「宝物」だと思った。アフリカの途上国の歴史と現実が、わかりやすい英語で書かれている。生徒たちと読む機会をつくりたいと思い、まず中学2年生の生徒数名と同月から勉強会を始めることにした。この生徒たちとは、不定期ではあるが、国際情勢を語るなどの社会の勉強会を開いている。
最初に読むことにしたのは、小学校4年生の教科書の一節にある'Drawing the boundaries of Ghana'(ガーナの国境線を引くこと)。Papaと息子Kwakuの会話によって、話が進行する形式。19世紀後半に進められたヨーロッパ諸国によるアフリカ分割によって、ガーナも植民地化への道をたどる。アフリカ諸国の国境線を決めた会議は、ヨーロッパで行われたと語る父に、息子が質問する。'So were any Africans present at these meeting where Africa was divided?'(それでは、アフリカが分割されたこれらの会議には、アフリカ人は参加したの?)否定する父に対して、息子は「もし白人がアフリカに来なかったら、国境線は違っていた?」と尋ねる。父は、「確かなことはわからないが」とした上で、こう答えた。'What I know is that all Africans are one people.The white man has divided us with these  boundaries.But we must not forget that the  Africans in the other countries are our neighbours.As Africans we should not quarrel with one another.'(私が知っていることは、全てのアフリカ人は、一つの民族だということである。白人は、私たちを国境線で分割した。しかし、私たちは、他の国々のアフリカ人が私たちの隣人だということを忘れてはならない。アフリカ人として、私たちは仲たがいしすべきではない。)
私は、この箇所を読んだとき、これが小学校4年生で学ぶ内容だろうかと唸った。深刻な歴史。気高い結論。そして平易な文章。私は、インドネシアとのテレビ会議で積み残した、国境を越えて英語で話し合い、地球的規模の問題を考えるという課題をこの素材をいかして追求しようと決めた。そうと決まれば、まずは経験を積むことである。生徒と共に、8月6日にガーナ大使館を訪問した。最初の1時間は、通訳なしでのコミュニケーションに挑戦。私も、中学2年生も、懸命に話し、聞いた。その後、ガーナ料理店で昼食。生徒たちに、辛い調味料も味わってもらった。今後も、勉強会を重ね、経験を積む中で、教養ある国際人としての資質を磨いてほしいと思っている。そして、他者を知ることで自分の役割を認識し、自分を変える必要があることを理解できる人に育ってほしいと願っている(なお、この学習会については、『あゆみ』本号掲載の福島みのりさん「ガーナについての学習」もご覧下さい)。

 

発表会を振り返って
さて、以上の内容を勉強会で発表したのであるが、発表のなかで、いろいろな批判・意見も頂戴した。特に、『100人の村』については、「この『100人の村』で使われているデータの根拠は?」、「『100人の村』は結局、先進国が途上国に施しをするという意識が背景にあるのではないか」などシビアな意見が相次いだ。さすがに、皆さん鋭い。おっしゃるとおり。けれども、先進国の生徒・児童に途上国の存在を知らせることの重要さを改めて考えていただき、この教材を使うことで得た子供たちの感想を読んでみて下さい、というのが私の回答だった。また、ガーナ勉強会の紹介では、私が、英文資料(ガーナ教科書)を読み出したりして、全体としてまとまっていた印象を与えたとは言いがたかったと思う。最後までお付き合い頂いた参加者には、感謝申し上げるという他にない。

 

おわりに
私にとって、開発途上国理解というテーマの魅力は、他者を知ることで自分の役割を認識し、自分を変える必要があることが理解できる、ということである。このことは、昨年『あゆみ』の原稿を書いた際に、私の中ではっきりとしていった。その時から前進しているとすれば、機会を与え、協力をして下さった全ての皆様のお陰だし、蛇行がはなはだしいとすれば、運転する私の腕前が上がらないせいである。次の課題は、「国境を越えて英語で話し合い、地球規模の問題を考えること」である。今後は、この課題に向かって努力していきたい。




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