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「自然を楽しむクラブの生い立ち」
クラブ活動の歴史も、時代の流れとともに生徒を取り巻く環境も変化し、クラブの盛衰に現れている。「自然を楽しむクラブ」の結成当時のメンバーを見ると、生物部やハイキング部に籍を置いたメンバーが多く、野外活動に興味を持つ者が集まった集団だった。
当時の生物部と言えば、動物の解剖をしたり、教室での小動物の飼育観察が主流で、野外に出るのは植物採集ぐらいで、専ら教室内での活動が中心だった。一方、ハイキング部は高校生を主体としたワンダーフォーゲル部に対し、中学生の為のクラブで、どちらも山歩きや海岸でテントを利用したアウトドアーライフが中心の活動だった。
このような性格の違ったクラブが一つになって活動するのは、不思議なように思われるが、意外と共通点があり、今日まで続いてきた理由でもあるのだろう。
これらのクラブに顧問としてかかわって来た中で、一貫していたことは「自然に対する親しみと尊敬の念」である。顧問を引き受けた頃のワンダーフォーゲル部は小さなバスケットに弁当とお菓子を入れ、日傘をさしてハイキングするようなクラブで、宿泊も山小屋泊まりだった。クラブ予算も殆どなく、装備を整えるにも、ほとんど自前で、やっとテントを購入できたときは、芝公園でテント張りや野外炊飯の練習をして実践に備え、沢山の食料を押し込んだ大きなスキリングを担いで出かけたが、時には野菜の一部を野外調達しなければならず、必然的に山菜の勉強が始まり、植物に向けるようになった。それとは別に、重い荷物を背負った苦しみや山を登る苦しさの中で、道端に咲く小さな花や夜空の星空が気持ちを和らげ癒してくれることを誰が教えることもなく覚え、自然の持つ力の偉大さや魅力に引きつけられていった。
ワンダーフォーゲル部が全盛の時代には文化祭の展示も、ススキやアワダチソウを多摩川の川原で刈り取り、教室いっぱいに再現したり、天井全面に星座を作ったりして、理科部かと疑われるような発表をしたのも、野外活動での自然に対する憧れや活動中の強烈な印象があったからだろう。そんな活動をする中から生まれたのがワンダーフォールの下部組織的なハイキング部だから、規模はともかく活動は似たようなものだった。しかし、これらのクラブも時代の風潮から3K(苦しい・汚い・臭い)と呼ばれ敬遠されがちになり衰退していった。
その頃生まれたのが「自然を楽しむクラブ」である。時代は日本の高度成長期で、自然破壊が進み、様々な環境問題が浮かび上がってきたのもこの頃である。しかし、国の対策は悪化した環境から人を守るための方策だけで、汚れた川に蓋をしたり、護岸をコンクリートで固めて雑草が生えないようにするなど、何ひとつ環境悪化の原因を解消するものではなく、破壊を重ねていた時代だった。
このような中で、各地に自然そのものを守ろうと言うボランティア団体が生まれ活動を始めていた。その中の一つNESの会(自然に親しむ会)は小学生から大人までが自然を大切にすることは自然に親しむことから始まるという考えのもとでフィールドワークを中心にした活動を展開し、時には海外まで出かけていった。学内の先生・生徒や卒業生たちもメンバーの中に名を連ねており、学校の中にもクラブを作ろうということから、元ワンダーフォーゲル部員やハイキング部、生物部などのメンバーが集まって結成されたのがスタートだった。
部員の条件は自然が大好きな人、動物や植物が好きな人、フィールドワークの好きな人が集まり、植物の栽培、動物の飼育、ハイキング、山登りなど自然に触れることができるものがあればなんでも挑戦した。当時の学校は都心にあり、校庭もなく、動物の飼育をすると言っても場所がなく、校舎のドライエリアの狭いところでホタルを飼育して飛ばしたりしていた。それに比べると現在の環境は天と地の差があるが、自然に親しみ、その中でいろいろなことを学んでいこうという精神は変わっていない。これからも自然の中で学び自然を守っていってもらいたいと願いたい。
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