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01/04/11 目白学園 「学園記事」

学園記事女性宇宙飛行士・ソートン博士を招いて
 〜人間社会学部開設記念講演より

女性宇宙飛行士
キャスリン・ソートン博士の講演
「宇宙飛行士、妻として、母として」(抜粋)


■アメリカでも最近まで女性の活躍の場は限られていた

 さて、宇宙飛行士のように男性が支配している世界で、女性が成功する方法は、ひとつに限られいてるわけではありません。若い女性の皆さんが障害を乗り越えて、男性に伍して生き残っていくには、色々な方法があるでしょうその中で、今日は、私の今までの経験談をお話し申し上げて、何か教訓を学んでいただければと思います。

 私は小さい頃には、宇宙飛行士になろうと言う夢は持っていませんでした。女性でありながら宇宙飛行士になろうなんて、そんな選択肢はなかったのです。成人した頃には、もう宇宙飛行士はいましたが、ほとんどは男性だったのです。

 けれども、私は大変幸運でした。私には3人の男の兄弟があり、その環境の中で、男性ができることは、どんなことであっても、女性もできるのだということを学びました。

 もうひとつ幸運だったのは、私が育った1960〜70年代は、アメリカおよび世界全体において、女性開放運動・女性の権利を擁護しようという画期的な変化が起こった時代だったことです。

 実は、アメリカでは、19世紀になるまで、女性のための正式な教育は行われていませんでした。1800年代の終わりになるまでは、女性は大学院に行くこともできなかったのです。それがも、20世紀になって、科学分野において女性が関わることのできる職業が増えてきました。とくに、第1次、第2次世界大戦の間に、女性は化学の分野で多くの役割を果たしました。戦争で男性が動員されたために労働力が不足したからです。しかし、戦後になって、復員してくる男性が増えたために、女性は再び仕事をなくすことになってしまいました。

 そんな状況でしたが、私の両親は、私に大学に行くことを勧めてくれました。けれども、当時、女性が大学教育を受ける目的は、大きく二つに分かれていました。第一は、純粋に大学に行って高度な教育を受けること。第二は、高度な教育を受けた夫を見つけることであり、そうすれば女性は自分の子供を養ってもらえるからです。そして、ほとんどの女性が成功するために取るべきなのは、この第二の道の方であるという考え方が主流でした。私の両親も、この第二の目的のために、私を大学に行かせたと言ってもいいでしょう。

■科学の前では皆が平等である

 私は大学で物理学を専攻しました。それは、高校時代の物理・科学の先生の影響があったからです。その先生は私にこう明言しました。「男性であるか女性であるかは関係ない。白人であるか黒人であるかも関係ない。科学の前では皆平等である」と。高校時代に、この先生と出会えたことは幸運でした。高校のキャリア・カウンセラーからは「女性では、高度な数学は分からないのではないか」などと、失望してしまうようなことも言われたのですが、この先生の励ましによって、私は大学に行き、物理学の学士号を取得することができたのです。

 しかし、その時点で、私は若干傲慢になっていた気がします。「私は、とても難しいと思われていた物理学で学士号が取得できたのだ」と。大学のクラスの中で、女性は私だけだったのです。スーパースタートは言わないまでも、他の男性と同じくらいか、それ以上の能力があるという自信がありました。先ほど申し上げたように、当時、女性の社会における活動を擁護するような運動が活発化していましたが、その手助けがなくても、自分の能力だけで十分にやっていけると自惚れていました。

 しかも、学士号を取得した直後に、自分の能力を発揮できそうな仕事に就けたため、私の自信はさらに深まっていきました。それは、排気ガスの中の微量粒子を測定する仕事でした。計測器を取り付けるために煙突に登ることもあるのですが、そうした経験もとても面白いと思っていました。

 けれども、実際に仕事についてみると、女性はそうしたフィールド作業をすることができないことが分かったのです。その理由は、危険で汚い、きつい仕事なので、女性らしい仕事ではないからということでした。でも、本当の理由は、フィールドで、女性が男性と作業をすることが男性の妻たちに嫌がられるからでしょう。ですから、当時は単純な仕事しか与えてもらえませんでした。

■女性開放運動のおかげで喜屋武菅生まれる

 しかし時代は変わりました。ジョン・グレンやその他の宇宙飛行士が、宇宙にいけるようになって20年経ち、ようやくNASAは初めての女性宇宙飛行士を採用しました。スペースシャトルに乗るための女性です。

 けれども、女性宇宙飛行士を採用した理由は、政府に女性を入れるべきだという思想があったからではなく、また、女性の才能が級に必要になったという理由でもありませんでした。実は、最大の理由は、連邦の法律で、男女とも平等にチャンスを与えるべきということが明記されたためでした。つまり、女性解放運動、公民権運動と指導した人たちのおかげだったのです。その人たちのおかげで、私はチャンスを得て、宇宙に行くことができたのです。

 ここで、ひとつの統計を紹介したいと思います。アメリカの統計ですが、もしかしたら日本でも同じ事が言えるかもしれません。アメリカの人口の35%は白人の男性です。白人男性が滅亡の危機に瀕しているとはいえませんが、少数派です。注目されるのは、少数派なのに、白人男性の78%が科学技術的な職務についていることです。でも、その職務を白人男性に独占させたままではなりません。残りの65%の人口を無駄にしてはならないのです。女性も白人以外の男性も、もっと科学技術の分野に進出すべきです。ちなみに、1978年にNASAがはじめて女性宇宙飛行士を選んだときに、全宇宙飛行士35人の中で女性は6人だけでした。わずか17%です。人口の50%は女性なのですから、これは極めて少ない人数です。

 ここにいらっしゃる皆さんは、教育を受けて、将来宇宙飛行士になれる資質を持っています。もっと多く、このように世界にチャレンジする女性たちを、私たちは待ち望んでいます。教育によって得た知識や才能を無駄にするような、そんな贅沢は私たちには許されていないのです。


■■質疑応答■■


Q:これまでに地球外生物を見たことがありますか。また、地球外生物が存在すると考えていますか。

A:それは大変興味深い質問ですね。一緒に宇宙に行った乗組員の一人がスイス人でしたから、異国人は見たことがありますが(笑)、異星人は見たことがありません。宇宙船に隕石などがぶつかることはありましたが、残念ながら知的な生物を見たことはありません。しかし、何千億もの惑星や星雲がある中で、私たちだけが宇宙で唯一の知的な生物であるとは考えたくないと思っています。


Q:宇宙飛行士としての体験の中で、一番よかったと思っていらっしゃることは何ですか。

A:毎日毎日が学ぶチャンスであったことです。宇宙飛行士に選ばれた段階で訓練が終わりだと思ったら間違いです。日々新しい学びがあります。それはとても楽しい事でした。新しい学びによって、自分に新たな課題を与え、それにチャレンジすることが、私の宇宙飛行士として得た一番大きな恩恵だったと言えるでしょう。また、ここで皆さんに講演をするチャンスを得たことも、大きな恩恵といえましょう。

Q:今後の人生に於いて、どんなことにチャレンジしたいですか。

A:もっとバランスの取れた生活をしたいですね。仕事を減らして、自分がより面白いと思うことをすることでしょうか…。今は次のステップのための充電期間だと考えて今す。


Q:女性として、宇宙飛行士の訓練は難しかったでしょうか。

A:訓練は、自分の任務だけでなく、何かトラブルが発生したときのために、他の宇宙飛行士の任務についての訓練も行われます。たとえば船外活動。プールの中で宇宙服を着て訓練しました。筋力がないとダメですから、少し難しかったですね。でも、男性と比べて訓練がより難しいということはなかったと思っていますよ。


Q:初期の女性宇宙飛行士の一人でいらっしゃるわけですが、男性と違った特別な訓練は受けましたか。

A:いえ、男性も女性も全く同じ訓練です。というのも、どちらも同じ任務を行うからです。その任務をこなせるだけのスキルがあるからこそ、宇宙飛行士に選ばれているわけですから。


Q:宇宙船で何か問題は発生しませんでしたか。怖いことはありませんでしたか。

A:どの飛行でも、必ず問題がいくつか発生します。異常事態ですね。けれども、だいたいバックアップシステムがありますから、怖かったとか、命の危機を感じたようなことはありませんでした。私にとって最も怖かったのは船外活動でした。ただし、それはケガをするのではないかという不安ではなく、任務が遂行できないのではないかという不安でした。訓練中は大丈夫でしたが、実際の宇宙服は新しくごわごわしていて、腕を曲げるのも難しいほどだったのです。任務への不安はありましたが、ケガへの恐れを抱いたことは決してありません。

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