巻 頭 言
大木 信幸
初めて回転寿司に行ったときのことを書いた作文を読んで涙を流してしまった。ドキドキワクワク感が僕のこころと共振して、とても素敵な文章で、きっと書いた本人も楽しんで書けたに違いない。
作文を書くというのは、ひとつひとつ文字を書いてゆくわけだから、めんどくさいものだろう。しかし、楽しかったこと、うれしかったこと、苦しかったこと、つらかったこと、いや、そんなに強い感情でなくても、ささいな心の動きでも、それをそのまま思った通りに、誰にも遠慮することなく素直に書けたら、書くことはたのしい(あるいは晴れ晴れとした、あるいはすっきりした、あるいは満足した、etc.etc.)ことなのだろう。思ったことをそのまま書いたら自己嫌悪に陥る、なんてこともあるかもしれない。でも書くことはたのしいことなんじゃないかとおもう。
感じたことは、自分がそう感じたということにおいて、たしかなことだ。よいとかわるいとかの問題ではない。ただ、注意しなければならないのは、その感じたことを未来にわたって持ち続けることが、はたしてよいかどうか、ただしいかどうかは、まったく別の問題だということだ。
感じたこと、思ったことを種にして、言葉をつむぎだす(書いてゆく)ことは、実際にはとても難しい。しかし、そうしなければ「考える」ことは始まらない。そこでは「確かに自分はそう感じた」というたしかさと責任があるから、「考える」という動きが自然と起こるはずだ。そして、書くことによってさまざまな自分と、あるいは他の人と出会い、考えは深まってゆくだろう。書いて、考えて、その結果、自分がこしらえた「なにか」が、度量の大きな自立した大人にふさわしいものであれば、たとえ時間がかかったとしても、それはすばらしいことだ。
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