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01/11/26 鎌倉学園「鎌倉学園創立八十周年記念誌」

鎌倉学園創立八十周年記念誌

鎌倉学園校長 福井 安正



 校長室に懸かっている歴代校長の写真。初代富士川游先生始め九人の校長先生が私を見守り、学園の伝統を語りかけてくれます。

 大正十(一九二一)年九月十日、鎌倉中学校として設立許可を得て以来八十年。現在二万余の卒業生と一千四百余の在校生を擁する鎌倉学園は、県内屈指の私学として存在を誇っています。しかしこの八十年の歴史は平坦なものではなかったと聞いています。開校直後、関東大震災のためほとんどの施設の倒壊。昭和初期の不景気による経営困難。戦中戦後の混乱の時代。数々の障害を乗り越えて今日の学園を築いて下さった先輩諸氏に改めて感謝したいと思います。

 創立以来の「礼儀廉恥」の校訓、「自主自律」の精神の下、各界に活躍する幾多の人材を輩出した学園の歴史と伝統を受け継ぎ守ること。と同時に、激動が予想される時代の要求に即応すること。そして二世紀の世界を担う若者達を育て、次代を託すこと。それが私達現職の責務だと思います。

 現在私学が置かれている環境は非常に厳しいものがあります。各私学は生き残りをかけて努力しています。鎌倉学園も例外ではありません。しかし私たちは先輩諸氏の築かれた基盤を受け、さらに強固なものにしていく覚悟でいます。九十年、百年の記念誌にはさらに記事を盛り上げてくれる多くの卒業生が並ぶよう、人づくりに全力を尽くすつもりです。



鎌倉学園の思い出


生徒への愛情を忘れずに 〜教員生活五十年〜



 創立八十周年を迎え、誠におめでとうございます。衷心よりお祝い申し上げます。

 本学園の沿革についてはすでに「五十年のあゆみ」「六十周年記念誌」「七十年誌」で紹介ずみですので、私の想い出を書いてみたいと思います。私は本学園の前身鎌倉中学校を昭和十八年に卒業しました。当時の中学校は五年制で、しかも、戦時色の濃い時代でした。

 特に富士の裾野での軍事教練が大変厳しかった事を、今でも覚えています。この時写した写真は、セピア色となっていますが、アルバムに貼ってあります。

 中学を卒業して、大学の予科に入学、学部に入り、昭和二十三年に卒業、今度は教員として再び本学園に赴任平成四年の定年まで四十三年間教員をつとめその後講師として二年、中学時代、教員講師の時代を合わせると丁度五十年となります。

 今思えばよく通ったものだと思います。これだけ長い教員生活を送りながら、学園に対しても、同窓会に対しても、何に一つ出来なかった事を今は深く反省しております。然し、生徒に対しては、愛情の二文字だけは忘れることなく接して来たつもりです。

 今年の五月「先生、昨晩先生に木片を投げつけられた夢を見ました。お元気ですか」と、あと数年で会社を定年退職する卒業生から電話をいただきました。昔話でつい長電話になってしまいました。

 また、北関東で小学校の教員をしている教え子から、毎年時季になると、その地方の特産物を送ってくれます。

 その子は、中学一年の時、下校時学校の近くで交通事故に遭い、病院に運ばれましたが、幸い打ち身程度だったのですぐ自宅に帰されました。アパート風の家に寝かせ「痛むか」「気分はどうか」など話しかけた後「少し寝ろ」と寝かせました。気分的に少し落着いたのか寝てくれました。可愛いいその寝顔を見ていた時多分母親の優しい看護の夢でも見ているのか頬にひとすじの涙が流れて来ました。その涙を見た時、親が来るまで付添っていてやろうと心に決めました。夜中の十二時過ぎ隣室の人が「後は私達で見ますから」と声をかけられ気掛かりでしたが帰ることにしました。然し咄嗟の出来事だったので体操服のまま来てしまったので持ち合わせはない。だが足には自信があるとばかり夜道を走り出しましたが事故以来何にも口に入れていないので途中何回も歩いて、やっと家にたどり着いたのは、午前二時を少しすぎていました。

 その時の中学生が自分の生活が安定してきたので昔の恩返しの気持ちで送ってくれるのです。最近しきりに逢いたがっていますが、未だにあの可愛かった寝顔が脳裏からはなれないので、イメージが壊れると逢うのを断っています。

 そのほか街角で声をかけてくれる卒業生のために頑張って生きて、本学園創立一〇〇周年記念の式典には杖を頼っても出席したいと思います。学園の今後の発展をお祈りします。

(旧制第二十回卒業)



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