21世紀を目前にして、次世代の教育はどうあるべきか、どういう人間を育成せねばならないかは、国民的な関心事として取り組んで行かねばならない状況にある。特に否応なく進む科学技術社会の中で、価値観の選択に迷う若者の多い昨今、教育に期待されるところは多い。
本校国語科では、そうした社会的要請にも十分配慮しつつ、日々教育に当たっている。生活の基本的価値観の習得のためにも、これから学ぶあらゆる学科の基礎科目としての国語を重視し、国語の単位数は、公立の標準単位を大きく上回って設定されている。それは中学段階でしっかりとした国語の体系を理解させ、深い精神性を構築しておくことが、6年一貫の教育を構成していく上で重要であるという立場からである。
国語力を伸ばすにはいくつか方法があろう。だがなんと言っても、それまでの<読書>が決め手になるといって過言ではない。森羅万象、何でも登場して来る国語の文章に対する場合、理解の鍵はそれまでのその人の知識・体験であろうが、未熟な年齢においてそれを補うのは「追体験」としての<読書>であると言える。本校ではそのセオリーを大事にして読書指導にも努力している。科としても、教室内で補助的教材として提示するものを、できるだけ豊富に購入するようにしたり、本校の図書館との提携を密にして「読書感想文コンクール」を積極的に行ったりして、図書館利用の機会が増えるように指導をしている。
現代文の、それもかなり深い内容の文章に対応するためには、どうしても表現の細やかなニュアンスを捕らえる必要があるが、それには底辺に文法的理解がなくてはならない。そこで1、2年で口語文法を履修させている。これにより日本語の体系・構造を論理的につかませ、微妙な意味の世界を考えさせている。3年では文語文法を学習するが、これは同時に履修している古文の教材を読解するのに必要な範囲を主に指導している。古典教育の初期では解釈や文法にむやみにこだわらず、言語的感覚を養うのが一番と考えているので、それほど深くやっているわけではない。
古典は2学年から2時間ずつ配当しているが、特に高校をにらんで意識した配当ではなく、<日本の文化>として古典的世界に関心を持たせることが、結果として古文のみならず、国語全般にわたる理解に通じることになると考えての配当である。毎日の授業で担当教師は資料などを使って、それぞれ工夫を凝らして努力しているが、中でも「百人一首」の暗唱を少しずつ行い、体育館などでカルタ取り大会を実施しているのは意義があると思っている。頭脳の柔軟な時における暗記は、後年きっと基礎的な教養となって有効性が高いと思われる。また、最近のVTR教材も豊富に揃え、視覚的な方法も随時授業の中に組み入れて、活気のある授業をもくろんでいる。
以上のように国語科は、一貫教育の利点を生かし、中学段階ではあくまで基礎的な勉強に重点を置いて、高校へ行ってからの本当の「開花」を期待して、じっくり余裕をもって<本物の勉強>が出来るようにやっている。 |