21世紀の女子教育を考える会 HOMEへ 活動報告indexへ
  第1回第2回第3回第4回第5回第6回[1][2]第7回[1][2]
第8回 [1][2]第9回 [1][2][3]第10回 [1][2]第11回 [1][2]
第12回第13回第14回第15回第16回第17回
夏期宿泊研修第18回第19回第20回第21回‖第22回‖
‖第23回‖第24回

 

第5回『建学の精神と理念』
- 昭和女子大学附属昭和中学・高等学校 入試広報部長 小西 泰 -

 昭和学園の創立者人見圓吉は1883年(明治16年)岡山県に生まれ、早稲田高等師範部英語科に学び、在学中から詩に親しみ、東明と号して詩集『夜の舞踏』を発表しました。また、島村抱月の推薦で「芸術座」の幹部となり、読売新聞の文芸欄の担当記者をしながら詩壇で活躍していました。1918年(大正7年)、第1次世界大戦が終えた頃、日本婦人協会を設立し、毎月1回、第1日曜日に本郷にある基督協会で講演会を開いていました。この講演会では有島武郎、吉田絃二郎、正宗白鳥なども講演していました。講演会の終わった後の座談会で月1回ではなく、もっと組織的にまとまった講義を聴きたいという受講生の声があがり、更に、創立者夫人人見緑の熱意から、1920年(大正9年)に本学の前身「日本女子高等学院」(日本の女子に高等な学芸を授けるとの意味から名づけられた)が創設されました。

この時代は一部のキリスト教的な女子教育の中に自由と平等を主張して人間の幸福を追求しようとする動きも見られましたが、社会全体としては封建的な良妻賢母主義が主流で、学問への意欲があっても、「女子は女学校で十分、それ以上の教育は百害あって一利なし。上級の学問は男子にまかせ、女子は家庭に入って良妻になれる実技就業や花嫁教育に専念すればよい。」と言われていた時代です。この時代に女性文化を掲げ、世のため人のためになるようなヒューマニズムに満ちた学校を創設しました。人見圓吉は創立当時の事を次のように述懐しています。

「人と人はいたわる事も愛される事も知らず、自分の主義主張を唱えて一歩も譲らず、人と人は争い、国家と国家は戦って安ずるところがなかった。このとき家内がしきりにすすめたのが、トルストイの学校である。彼は軍職を退いてヤースナヤ・ポリャーナに塾のような学校を建て、午前中に学科を授けて、午後は近隣の病める者、傷ける者、貧しき者、老いたる者など、つまり他の愛なくしては生活できない者の家を訪ねて、食を与え、衣を与え、看病し、掃除し、洗濯するなど養護に当たった。人々はこれを喜び感謝したという。こんな学校があって、「愛」と「理解」と「調和」を旨とするならば、どんなに楽しい事であろう。」

トルストイの考える教育とは、単に知識を伝達することに止まらず、むしろ「人間はいかに生きるべきなのか?」という人生の基本課題を主題にするものであり、「私は何をすべきであるのか」について深く思索し、その実践を追求したものでした。彼の学校では、教師と生徒の共同生活を重視していました。昭和学園は、このトルストイ教育の精神を受け継いで、人間性豊かな女性の育成をめざしています。人見圓吉・緑夫妻は、第1次世界大戦後の混沌としたなか、トルストイの学校こそ、世界から戦争をなくすための天の啓示と受けとめ、日本にもこのような学校を創りたいと考えたのです。そして、人類の母である女性の「愛」と、人としての「理解」と「調和」の精神こそ、真の世界平和を創る原動力となるに違いないと考えたのでした。

開講の詞

夜が明けようとしている。
五年というながい間、世界の空は陰惨な雲(第1次世界大戦)に掩われて、人々は暗いおりの中に押し込められて、身動きもできなかった。けれど、今や、一道の光明が空のかなたからほのめき出して、新しい文化の世が明けようとしている。人々はおりの中からはい出し、閉じ込められた心を押し開いて、文化の素晴らしい光を迎えようとしている。

夜が明けようとしている。
海のかなたの空にも、わが邦の上にも、新しい思想の光が、ながい間漂うていたくろ雲を押し破って、まぶしいばかり輝き出そうとしている。それを迎えて叫ぶ人々の声を聞け。霊の底まで鳴りひびく声を、力強いその叫びを聞け。既に目覚めた人々は、文化の朝を迎えるべく、身にも心にも、仕度が十分整っている。

夜が明けようとしている。
われ等の友よ。その愛らしき眼をとじたまま、逸楽の夢をむさぼる時はもう既に去った。われ等は、まさに来る文化の朝を迎えるために、身支度をとり急がねばならぬ。正しき道に歩み出すために、糧を十分に取らねばならぬ。そして、目覚めたる婦人として、正しき婦人として、思慮ある力強き婦人として、文化の道を歩み出すべく、互いにみがき合わなければならない時が来たのである。

大正九年九月十日
日本女子高等學院

学園目標の「世の光となろう」は、この「開講の詞」を一言で表現したものです。そして、その実践をするためのものが校訓三則「清き気品 篤き至誠 高き識見」となりました。さらに、昭和学生道として次の五項目を掲げています。

学業に励む。
自分独自の研究を進める。
「クラブ活動」、「朋友班活動」および「家」などという本校独自のサークル活動に参加して自らをみがく。
友人や隣人にあたたかく奉仕する真心を尽くす。

そのほかの時間をいつでも自分の成長のために活用する。


HOME > 活動報告第5回